我が国最古の歴史書として知られる『古事記』と『日本書紀』。『古事記』は七一二年(西暦、以下も同じ)、『日本書紀』は七二〇年の成立だとされる。これに対して、『魏志』倭人伝が伝える邪馬台(壱)国の記録は、二三九年に女王・卑弥呼からの朝貢があったことが具体的に記されている。そして二四〇年には魏の遣使が詔書・印綬を携えて来朝している。その後も交渉は続けられ、卑弥呼の死後はその宗女・壱与の時代にも、魏使が…
日本書紀の記事一覧
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歴史・地理『卑弥呼と古事記と日本書紀』【新連載】吉木 正實
歴史書に存在しない女王・卑弥呼。当然、その存在は何らかの形で記されているだろうと思うが...
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歴史・地理『僕の古代史』【最終回】橋本 正浩
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歴史・地理『僕の古代史』【第11回】橋本 正浩
「日出ずる処の国の天子が書を日没する処の天子に致す......」鮮卑族の王朝に対して、変わらぬ姿勢で対等交流。
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歴史・地理『僕の古代史』【第10回】橋本 正浩
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歴史・地理『僕の古代史』【第9回】橋本 正浩
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歴史・地理『僕の古代史』【第8回】橋本 正浩
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歴史・地理『僕の古代史』【第7回】橋本 正浩
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歴史・地理『僕の古代史』【第6回】橋本 正浩
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歴史・地理『僕の古代史』【第5回】橋本 正浩
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歴史・地理『6~7世紀の日本書紀編年の修正』【第15回】牧尾 一彦
「勅を奉りて、始めて元嘉暦と儀鳳暦とを行ふ」通説の通りに読めるとは思われない
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歴史・地理『僕の古代史』【第4回】橋本 正浩
朝廷の直轄領を表す「屯倉(みやけ)」。民衆にとっては「穀物倉庫=御宅(豪族の屋敷)」
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歴史・地理『6~7世紀の日本書紀編年の修正』【第14回】牧尾 一彦
持統元年正月に諸司に頒布された暦は新暦施行に向けた準備であった!
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歴史・地理『僕の古代史』【第3回】橋本 正浩
故郷を「国」と呼ぶ理由は?古代の「みやけ」=里、郷=クニの名残!
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歴史・地理『6~7世紀の日本書紀編年の修正』【第13回】牧尾 一彦
日本最古の暦「元嘉暦(げんかれき)」。持統天皇の代に使用された太陰太陽暦
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歴史・地理『僕の古代史』【第2回】橋本 正浩
国家が先か屯倉(みやけ)が先か?「みやけ」の本来の意味は…
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歴史・地理『6~7世紀の日本書紀編年の修正』【第12回】牧尾 一彦
推古天皇十二年。この年に正月の「始用暦日」がはじまった!?
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歴史・地理『僕の古代史』【新連載】橋本 正浩
稲作の広がりに併せて全国に広がった、古代社会の基盤と思われる「みやけ」の解明
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歴史・地理『6~7世紀の日本書紀編年の修正』【第11回】牧尾 一彦
歳星=木星による紀年法の不具合。古代中国ではどのように対応したのか?
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歴史・地理『6~7世紀の日本書紀編年の修正』【第10回】牧尾 一彦
十二支は12ヶ月を表すためのものだった!古代中国での起源を解説。