さて、書紀では神武帝以来孝徳帝に至るまで「國造」と「屯倉」は併存しています。にもかかわらず、「和名抄」に表われる地名でこの両者が重なっていないのです(伊甚の屯倉と伊甚の國造、淡路の屯倉と淡路の國造については、それぞれ時期がずれています)。ということは、その両者の立場が異なっていたことを物語っているのです。更に、王権により「屯倉」が建てられたということは、前にも述べましたが、それまで自立していた邑…
日本書紀の記事一覧
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歴史・地理『僕の古代史』【第10回】橋本 正浩
【古事記・日本書紀】屯倉と國造…同じ役割なのに違う呼び名―!? その鍵は、王権に従いも滅ぼされもしていない豪族たち!
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歴史・地理『僕の古代史』【第9回】橋本 正浩
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歴史・地理『僕の古代史』【第8回】橋本 正浩
古代日本の各地に存在した國造(くにのみやっこ)。それは「國の長」として、大王が認めた証しの呼び名と考えられている。
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歴史・地理『僕の古代史』【第7回】橋本 正浩
任那(みまな)という命名は南朝に朝貢していた倭の五王の王権によるもの!?
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歴史・地理『僕の古代史』【第6回】橋本 正浩
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歴史・地理『6~7世紀の日本書紀編年の修正』【最終回】牧尾 一彦
後漢四分暦は後漢、三国時代の蜀と継承され178年間用い続けられた
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歴史・地理『僕の古代史』【第5回】橋本 正浩
「官家」は「官(つかさ)の家」なので「役所」。これを「みやけ」と呼ぶには抵抗がある
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歴史・地理『6~7世紀の日本書紀編年の修正』【第15回】牧尾 一彦
「勅を奉りて、始めて元嘉暦と儀鳳暦とを行ふ」通説の通りに読めるとは思われない
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歴史・地理『僕の古代史』【第4回】橋本 正浩
朝廷の直轄領を表す「屯倉(みやけ)」。民衆にとっては「穀物倉庫=御宅(豪族の屋敷)」
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歴史・地理『6~7世紀の日本書紀編年の修正』【第14回】牧尾 一彦
持統元年正月に諸司に頒布された暦は新暦施行に向けた準備であった!
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歴史・地理『僕の古代史』【第3回】橋本 正浩
故郷を「国」と呼ぶ理由は?古代の「みやけ」=里、郷=クニの名残!
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歴史・地理『6~7世紀の日本書紀編年の修正』【第13回】牧尾 一彦
日本最古の暦「元嘉暦(げんかれき)」。持統天皇の代に使用された太陰太陽暦
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歴史・地理『僕の古代史』【第2回】橋本 正浩
国家が先か屯倉(みやけ)が先か?「みやけ」の本来の意味は…
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歴史・地理『6~7世紀の日本書紀編年の修正』【第12回】牧尾 一彦
推古天皇十二年。この年に正月の「始用暦日」がはじまった!?
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歴史・地理『僕の古代史』【新連載】橋本 正浩
稲作の広がりに併せて全国に広がった、古代社会の基盤と思われる「みやけ」の解明
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歴史・地理『6~7世紀の日本書紀編年の修正』【第11回】牧尾 一彦
歳星=木星による紀年法の不具合。古代中国ではどのように対応したのか?
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歴史・地理『6~7世紀の日本書紀編年の修正』【第10回】牧尾 一彦
十二支は12ヶ月を表すためのものだった!古代中国での起源を解説。
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歴史・地理『6~7世紀の日本書紀編年の修正』【第9回】牧尾 一彦
【日本書紀】顓頊暦を使って、古代人の手計算に近いものを体験!
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歴史・地理『6~7世紀の日本書紀編年の修正』【第8回】牧尾 一彦
【日本書紀】知ってた?「立春」「春分」などは「24節気」の1つ!
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歴史・地理『6~7世紀の日本書紀編年の修正』【第7回】牧尾 一彦
「古代人に無理数の概念はなかったから…」顓頊暦概論を手計算で算出!