はじめに 偽装の『古事記』とからくりの『日本書紀』
「記・紀」の成立と邪馬台国
我が国最古の歴史書として知られる『古事記』と『日本書紀』。『古事記』は七一二年(西暦、以下も同じ)、『日本書紀』は七二〇年の成立だとされる。
これに対して、『魏志』倭人伝が伝える邪馬台(壱)国の記録は、二三九年に女王・卑弥呼からの朝貢があったことが具体的に記されている。そして二四〇年には魏の遣使が詔書・印綬を携えて来朝している。
その後も交渉は続けられ、卑弥呼の死後はその宗女・壱与の時代にも、魏使が来朝していたことが倭人伝には記録されている。
邪馬台国は紛れもなく存在していたのである。当時使訳の通じる国三十国があったとして、倭人伝はそれらの国名まで具体的に記録している。卑弥呼を「親魏倭王」とし金印まで与えていることから考えても、これらの国々の頂点に邪馬台国があったことは間違いない。
邪馬台国は辺境の小国ではなく、九州北部を含む周辺国に君臨し、しかも危険を冒して大海を渡り魏国と互いに遣使を往来させるほどの力を持った大国だったのだ。
邪馬台国の時代から、『古事記』・『日本書紀』の成立までは五百年近い歳月が流れている。だが、これほどの大国のことならば、邪馬台国に関わる神話・伝説あるいは伝承・伝聞などが五百年の時を超えて伝わっていたはずだ。
『古事記』・『日本書紀』の中にも、当然その国のことが何らかの形で記録されているに違いない。そう考えるのは筆者ひとりではないだろう。
ところが『古事記』・『日本書紀』には、こうした邪馬台国に関わる神話・伝説あるいは伝承・伝聞の類は皆無なのである。わずかに『日本書紀』に、『魏志』倭人伝からの引用文が見えるが、それは中国で伝えられてきたものであり我が国のものではない。
なぜ「記・紀」には、この国独自の神話・伝説あるいは伝承・伝聞の記録がないのか。そこにはやはり、『古事記』・『日本書紀』が編纂されてきたその目的が影響し、歴史の改ざんがあったのではないかと疑われるのである。
天皇統治の正当性を主張する『古事記』
まず『古事記』である。『古事記』を発案したのは天武天皇だと言われる。『古事記』前文の「序第二段 古事記撰録の発端」には、以下の天皇の言葉が収録されている。
ここに天皇詔(の)りたまひしく、「朕(われ)聞きたまへらく、『諸家の賷(もた)る帝紀及び本辞、既に正實に違(たが)い、多く虚偽を加ふ。』といへり。今の時に當たりて、其の失(あやまり)を改めずは、未だ幾年をも經ずしてその旨(むね)滅びなむとす。