これすなはち、邦家の經緯、王化の鴻基(こうき)なり。故(かれ)これ、帝紀を撰録し、舊辞を討覈(とうかく)して、偽(いつは)りを削り實(まこと)を定めて、後葉(のちのよ)に流(つた)へむと欲(おも)ふ。」とのりたまひき。(『古事記』倉野憲司校注 黄1-1 岩波文庫 による。以下『古事記』で特に断り書きのないものは同じ)

こうして『帝王日継』(帝紀)と『先代旧辞』(本辞)を統合して編纂されたのが『古事記』なのである。

だが天武天皇のこの言葉の裏には、今一つの目的が隠されていた。そしてそれを達成するために、『古事記』にはある一連の神話が挿入されることになった。それは天皇家が自らの統治の正当性を主張するための政治神話であり、むしろこれこそが天武天皇の真の目的だったと言ってよいだろう。

簡略を恐れずに言うと、それは「高天原神話」であり「天孫降臨神話」である。そして「神武東征神話」である。

そこでは高天原の主神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)の命によって、この「葦原(あしはらの)中国(なかつくに)」は天皇家の祖先である日子番能邇邇藝命(ヒコホノニニギノミコト)に授けられたというのである。

この「古事記神話」が存在することによって、天皇家は国内のすべての勢力に対して、自らの統治の正当性を主張することが可能になったのである。

だから『古事記』には齟齬があってはならないわけである。例えば『古事記』に収録された記事が、これらの神話に疑義を抱かせる内容を含んでいたらどうなるか。

その記事の存在によって「古事記神話」は説得力を失い、天皇統治の正当性を主張することができなくなるわけである。この故に『古事記』の記事は、細心の注意を払って選別されてきたのである。

諸家の所蔵する帝紀及び本辞が、諸家それぞれの都合によって書き改められ、「正實に違(たが)い、多く虚偽を加えてきたことも間違いないだろう。」だがここで、天皇家の都合により編纂された『古事記』もまた同様に「正實に違い、多く虚偽を加えている可能性があるのではないか。」

しかも「偽(いつは)りを削り實(まこと)を定めて、後(のちの)葉(よ)に流(つた)へむと欲(おも)ふ。」と言って、あたかも自身が最も正しいかの如く装っているのである。

これらの観点からすれば、『古事記』が偽装の書であることに疑いの余地はないのである。

 

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