序章
不比等(ふひと)はため息をついた。深く重い吐息は根の国まで届きそうだ。
それほどの嘆声ではあるが、背を向けた舎人親王(とねりのしんのう)は気が付かない。
最後にもう一つ、怨恨にまみれたため息を親王の部屋に吐き出して退出した。
回廊に出ると、いつものすり足で足早にその場を離れた。
回廊に壁はなく、吹き曝し。北から刺すような風が吹き込んできた。晩秋の冷気は、怒りで火照った顔をなでてくれた。
時は飛鳥(あすか)。
そして、ここは飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)(現奈良県明日香村)。
多くの皇族や官人が、女帝持統(じとう)(第四十一代天皇)のもと、この宮で政(まつりごと)を執り行っている。
不比等もその一人。朝から政務に追われていた。
藤原不比等(ふじわらのふひと)。
歳の頃は三十前後。しかし、眉間には深い皺が刻まれ、髪や髭には白いものが混じり始めている。尖った顎や骨張った体。初めて会った人は彼を初老と思うであろう。
ただ一つ、ギラギラと活力が満ちている瞳を除いては。
不比等の父は藤原鎌足(ふじわらのかまたり)。四十年ほどの昔、当時の皇太子、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(のちの第三十八代天智(てんじ)天皇)らとともに、権力者であった蘇我(そが)氏を滅ぼした人物である。
鎌足は天智天皇から優遇され、藤原家は繁栄した。しかし、 鎌足の死後、藤原家は不遇の時代を送ることになる。時の権力者を殺した悪評が、世間には残っていた。さらに、天智の次に天皇となった天武(てんむ)(第四十代天皇)は天智時代の政策、人事を全て破棄した。天武は天智の弟で、この二人は仲の悪い兄弟だったのだ。
藤原家は何の後ろ盾もなくなった。
しかし、不比等は知識が豊富で、頭の回転も早い。さらに文筆にも長けていた。これまでにも、多くの文書の編集に関わった。
その功績を買われ、官職を手に入れた。自分の力だけでのし上がったのだ。