【前回の記事を読む】武烈天皇の残虐な記事を読み上げる不比等――顔を真っ赤にしたのは、その記事を書いた男たちだった
第一章 揺らめく落葉
仁賢十一年。大和の石上(いそかみ)(現奈良県天理市)にある、広高宮(ひろたかのみや)。億計大王(おけのおおきみ)(第二十四代 仁賢天皇(にんけんてんのう))の宮である。
宮の内郭(うちぐるわ)(皇族が暮らしたり、祭祀などが行われたりする最も重要な区域)を囲っている木の柵から、男の子が跳ねるようにして飛び出してきた。
稚鷦鷯皇子(わかさざきのみこ)だ。億計大王の嫡男(ちゃくなん)で、十歳になったばかり。三年前に立太子(りったいし)した日嗣(ひつぎ)の皇子(みこ)(皇太子)である。
パッチリとした瞳と赤い頬。ニコッと微笑むと、その頬にはくっきりとしたえくぼが現れる。華奢で女の子と見間違えそうな体格をしている。
稚鷦鷯は外郭(そとぐるわ)(宮殿の最も外側の区域)を出て、そばを流れる川を目指した。その後ろを屈強な男が追いかける。皇子には常に護衛がついていた。
この夏はひどく暑かったが、季節は一気に進んだ。秋は深まり、河原の桜の葉は鮮やかに紅葉していた。
特に今朝は冷え込んでいる。しかし、稚鷦鷯はピョンと川に飛び込んだ。なんのためらいもなかった。しぶきは陽の光を反射させ、突き抜けるような蒼い空に向かって跳ね上がった。護衛の男は慌てて駆け出した。
「大丈夫だから。来なくていいよ!」
稚鷦鷯の声は高く響いた。男は慌てて立ち止まった。確かに皇子は川の中で立っている。水は幼い子供の膝ほどしかなかった。男は川から離れ、木の影に己の姿を隠した。
「もう、一人にしてくれないかなぁ」
稚鷦鷯は大人ぶったため息をついた。
「でも、思ったより冷たい」
体がブルッと震えた。
(やめようかな……)