序節 日本書紀の編年のズレ
第2節 我が国の暦法史概観・元嘉暦概論・儀鳳暦序論・後漢四分暦概論
②欽明15年紀《554年》 2 月条
百済、下部杆率(かんそち)《百済官位16階の第 5 》将軍三貴(さんき)・上部奈率物部烏(もののべのかく)等を遣して、救ひの兵を乞ふ。仍りて徳率東城子莫古(とうじゃうしまくこ)を貢りて、前の番、奈率東城子言に代ふ。
五経博士王柳貴(おうりゅうき)を固徳(ことく)《百済16階の第 9 》馬丁安(めちゃうあん)に代ふ。僧曇恵等九人を、僧道深等七人に代ふ。
別に勅を奉りて、易博士施徳(せとく)《百済官位16階の第 8 》王道良(わうだうりゃう)・暦博士固徳王保孫(おうほうそん)・医博士奈率王有㥄陀(おううりょうだ)・採薬師施徳潘量豊(はんりょうぶ)・固徳丁有陀(ちょううだ)・楽人施徳三斤(さんこん)・季徳(きとく)《百済の官位16階の第10》己麻次(こまし)・季徳進奴(しんぬ)・対徳(たいとく)《百済の官位16階の第11》進陀(しんだ)を貢る。皆請に依りて代ふなり。
③推古10年紀《従来説で602年。実は603年》冬10月条
百済の僧観勒(かんろく)來れり。仍りて暦本及び天文地理書、并びに遁甲方術の書を貢る《遁甲は一種の占星術。方術は陰陽占・気候天文・療病・灼亀卜占などの術という》。
是の時、書生三四人を選び、以て観勒に学び習はしむ。
陽胡史(やごのふひと)の祖、玉陳(たまふる)は暦法を習ふ。大友村主(おほとものすぐり)高聡は天文遁甲を学ぶ。山背臣(やましろのおみ)日(並)立は方術を学ぶ。皆学びて業(みち)を成しつ。
④持統 4 年紀《690年》11月甲戌朔甲申【11】条
勅を奉りて、始めて元嘉暦と儀鳳暦とを行ふ。