【前回の記事を読む】9.11以降、自由の女神への入場は長く禁止された。高々とたいまつを掲げた姿で示唆するのは、自由という思想の虚無性や独善性だ。
序論
第一節 日本古代史への動機とシャカムニの思想および母系制と父系制についての序論
閑話休題。シャカムニの悟りの内実は、まさにこのこと、存在の本質は、因縁律、存在相互の間を強く互いに結びつける関係律にある、という悟達に尽きる。俗世を捨てて、こつじき(乞食)の生活に入り、苦行を経た後に、苦行をも捨てたシャカムニが、ブッダガヤーの菩提樹の下で達し得たと伝えられる悟りである。
シャカムニは、悟り得たその因縁律を正しく考え抜く道として、八正道を説いた。正しく見る(正見)、正しく思う(正思)、正しく語る(正語)、正しき生業(なりわい)を持つ(正業)、等々の正しき八つの道。
この道への最良の方途として、彼は出家を勧めた。俗世とのしがらみを断ち、貪欲を断ち、こつじきに落ちる出家こそ、戦乱渦巻く当時において、正しき思いを深めるための、唯一の道と思われた。
かくしてみずから悟り得た因縁律智を駆使しつつ、苦の滅尽に至る四聖諦、すなわち苦を知り、苦の生起を知り、苦の滅尽を知り、苦の滅尽に至る道、八正道を知る、という良き智慧について、古代人なりの考察を推し進めたというのが、シャカムニという、一人の偉大な聖者の、一生の骨格であった。
シャカムニの同志であったサーリプッタ(舎利弗)が、あるとき、シャカムニに「善き友情を持ち、善き仲間を持ち、善き交遊を有することが、この聖なる道のすべてである」と述べた。このとき、シャカムニは、「善きかな、善きかな、サーリプッタよ、その通りである」と喜び述べたと伝えられている。
因縁律に関する極めて抽象的な悟達の本質を、サーリプッタが、人間関係という関係律における具体的な事例として言葉に寄せ得たことを、シャカムニは、善しとしたのである。
シャカムニは、因縁律を考え抜く拠り所として、自己を洲(す。すなわち、拠り所)とせよ、と言っている。自己を拠り所とすれば、普遍的な正しい因縁律、すなわち法が見えてくる、と言っている。
人間の個性を超えて普遍的な、人間的な思考・判断の形式がある。思考・判断の原始的な基礎は、情、感情にある、とは、ある高次脳機能研究者の言葉であるが、然りと思われる。