牧尾 一彦

1947年 岐阜県にて生を受ける。
2016年 総院長を務めていた精神科病院を退職後は妻の介護をしながら家事と日本古代史研究に
専念。
著書『古事記の解析』(栄光出版社)、『古事記考』(私家本)、『国の初めの愁いの形――藤
原・奈良朝派閥抗争史』(風濤社)、『日本書紀編年批判試論』(東京図書出版)、『邪馬臺国
と神武天皇』(幻冬舎)、『6~7世紀の日本書紀編年の修正――大化元年は646年、壬申乱は67
3年である――』(幻冬舎)

掲載記事

  1. 1
  2. 2

書籍

  • 古事記の秘める数合わせの謎と古代冠位制度史
    牧尾 一彦
    出版社名:幻冬舎メディアコンサルティング
    古事記の誕生から1300年。
    その胎深く秘められ続けていた数合わせの発見により、これまで解き明かされることのなかった真実が闡
    明される。
    ◇古事記の数合わせは古代冠位制度史を証明する。
    ・別天神五柱と神世七代の構造は天武朝冠位制度の構造に一致する。
    ・数合わせは近江令冠位制度の存在を証する。
    ・大宝律令は藤原不比等が近江律令を換骨奪胎したものである。
    ◆壬申乱前代の改新政治による衆生救済政策は
    乱後の天武朝による愚民化政策によって破壊された。
    ◆神生み神話の35神問題は古代戸籍制度史が解く。

    (正誤のおらせ)
    P293・4行目 (誤)能基呂嶋 → (正)淤能基呂嶋
  • 6~7世紀の日本書紀編年の修正
    牧尾 一彦
    出版社名:幻冬舎メディアコンサルティング
    古代大和朝廷は、持統天皇4年紀(690年)以前においては現行干支紀年法より1年引き下げられた古いタイプの旧干支紀年法を公用としていた!
    ◆古代大和朝廷公用の旧干支紀年法は中国秦王朝公用の干支紀年法である
    ◆顓頊暦は古代韓の辰王朝に伝来した
    ◆この辰王朝こそ天皇家の祖先である
    ◆持統4年紀に至るまで公用されていた暦術は顓頊暦と同じ四分暦であろう
    ◆奈良時代に後漢四分暦の用いられていた実例がある
    ◆太安萬侶墓誌の暦日も後漢四分暦の修正版であろう
    ◆石神遺跡出土具注暦断簡の暦日も後漢四分暦の修正版で実現できる
    ◆元興寺伽藍縁起并流記資財帳の本文の干支紀年法は旧干支紀年法である