⑤【日本三代実録】貞観 3 年《861年》 6 月甲辰朔十六日己未条

 

始めて長慶宣明暦経を頒(わか)ち行ふ。是より先、陰陽頭従五位下兼行暦博士大春日朝臣真野麻呂、奏(まう)して言はく、謹しみて撿(かんがふ)るに、豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)天皇〔推古〕十年十月、百済国の僧観勒、始めて暦術を貢れども未だ世に行はれず。高天原広野姫天皇〔持統〕四年十二ママ月、勅有りて始めて元嘉暦を用ゐ、次に儀鳳暦を用ゐる。高野姫天皇〔称徳〕天平宝字七年八月、儀鳳暦を停めて、開元大衍暦を用ゐる。……

⑥【政事要略巻廿五 年中行事十一月一(御暦奏)】

 

儒傳に云はく、小治田朝〔推古〕十二年歳次甲子正月戊申朔《日本書紀では戊戌朔》を以ちて、始めて暦日を用ゐる。右官史記に云はく、太上天皇〈持統〉元年正月、暦を諸司に頒(わか)つ。

参考史料❷『善隣國寳記』上(續群書類聚巻第879)推古天皇十五年条

 

元永元年四月廿五日、中原朝臣師安・同氏廣忠・清原真人信俊・中原朝臣師遠・同氏廣宗五人、同引二日本書紀内推古記一、又引二経籍後傳記一曰、以二小治田朝〈今按推古天皇〉十二年歳次甲子正月朔一、始用二暦日一。

元永元年《1118年》四月廿五日、中原朝臣師安(もろやす)・同氏廣忠・清原真人(まひと)信俊(さねとし)・中原朝臣師遠・同氏廣宗五人、同じく日本書紀内の推古記を引き、又、経籍後傳記を引きて曰く、小治田朝〈今按ずるに推古天皇〉十二年歳次甲子正月朔を以ちて、始めて暦日を用ゐる。

参考史料❸『年中行事秘抄』(羣書類聚巻第86)十一月

 

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