【前回の記事を読む】道場に向かう途中、若者は竹刀袋に竹刀が入っているように見せかけて…実際に入れていた、ある“遊び道具”とは
第一章 いずれあやめかかきつばた
二
「お身内にご病人ですか?」
太平の言葉に、石動の大きな目がさらに大きく瞠(ひら)かれる。
「はい、鯉の生き肝には強い薬効があると聞いています」
釣りは初めて、としか見えない人が真剣そのものの顔で釣りをしている。太平には他の理由が浮かばない。
石動の妻は三年ほど前から体を弱らせていた。それが、旅に出てさらに弱った。普通なら一日の距離が三日はかかる。駕籠にも酔って、長くは乗っていられない。途中の宿でも何日か寝込み、そして、この地で遂に倒れた。
すぐに医者に見せたが、看立(みたて)は今までと同じだった。病因は不明、体をいたわって滋養を摂る。処方は朝鮮人参、どの医者も同じだった。朝鮮人参は、近頃では国内でも盛んに栽培されて値が下がったとはいえ、まだ高価な事に変りはない。それに、朝と夕に飲ませているのにその効果がまったく見えてこない。
「後は、鯉の生き肝くらいやろか」
医者の一人がそう言ったのを思い出した。
生き肝は薬種屋では扱わない。海の豊かなこの辺りでは鯉を扱う魚屋もない。だから、釣るしかない。
「釣りたいのですか?」
「うむ」
「うむ、では分かりません」
「あー、釣りたい」
いや、釣らねばならないのだ。
「あー、どこか間違っておるか?」
「どこか、ではありません。最初から最後まで、すべてがまったくなっちゃいません」