もちろん嘘はだめですが、「科学者の態度」を貫いて「わかりません」「診断がつきません」「治療方法はありません」とばかり言っていたら、「なんと誠実な先生でしょう!」と褒めていただける……はずはありません。

私は、基礎研究者と臨床医の関係を、歴史学者と歴史小説家の関係みたいなものと考えています3。歴史に興味をもっていても、歴史学の研究論文を読む人は少ないでしょう。

一方、すぐれた文学者が書いた歴史小説を読んでから、歴史を勉強してみようと思う人は少なくないのではないでしょうか。適切な治療を成し遂げるためには、臨床医はまず患者さんに病気という「難しい話」を理解していただく必要があります。その際、科学の言葉で「事実の断片」だけを列挙しても、患者さんに理解してもらうのは困難でしょう。


1 衛生学など基礎医学系の研究者や病理医も、患者さんのデータを扱う研究を行うことがある。

2 整形外科の「専門医」を標榜するためには、日本整形外科学会指定の講習会を受けて資格を取る必要がある。

3 医学研究論文(基礎・臨床)と臨床医が患者に語る「物語」の関係は、報道記事(ジャーナリズム)とノンフィクションにたとえることもできよう。報道記事は客観的な事実関係の断片的な記述を目的としており、それをどのように受け取るかは読者に委ねられている。それゆえ読者が記者の主観とは真逆の印象をいだくことも起こりうる。一方、ノンフィクションは事実データを基盤とするも、著者の主観を読者に伝えるのが目的とする「物語」であり、著者の印象、創作された発言を加えることもある。ノンフィクションは事実のなかから著者が抽出した〝真実〟を描いている(1)。すぐれた臨床医による「語り」はノンフィクションにたとえることができる。

(1)武田徹『現代日本を読むノンフィクションの名作・問題作』中央公論新社、2020年

次回更新は7月20日(日)、8時の予定です。

 

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