【前回の記事を読む】ヒトは「左膝の関節が45度まで曲がったので、右膝関節を45度ぐらい伸ばさねば」なんてことを意識しなくても自動的に歩ける

第3章 主観と客観〜痛みの診療における観点〜

無意識のシステム 心が知らない体のこと

このように、ふだんは体の情報は無意識にコントロールされており、心には届きません。そのため《社長》は会社の《保守点検》にわずらわされずに日常生活活動、新規事業や社交(人付き合い)に専念できるわけで、実に合理的です。

《事業所》からの情報は異常発生時だけ《社長》に伝わります。ところが、私たちの体(内臓、血管、運動器)がもつ警報システムはかなり大雑把につくられており、心《社長》には異常が発生した場所の把握や重篤度の判断がうまくできません1

腰痛では、損傷した椎骨の位置を知ることができません。そもそも心《社長》は椎骨がいくつあるのか知りません。胸部痛は胸の筋が原因なのか、心臓疾患なのか、痛みからは区別できません2。がんは命に関わる深刻な病気ですが、発生も初期段階の進行も、キャッチできません。

その一方で、運動器の痛みはしばしば過剰です。「ぎっくり腰」やふくらはぎに起こる「こむら返り」は強烈な痛みをもたらしますが、命に関わらないことはもちろん、甚大な損傷が起こっているわけでもありません。極端なのは皮膚の痛みで、私たちはトゲやササクレでもとても痛み、それを無視できません。

こうした痛みは、理由は不明ながら“警報音”がやたらに大きく、《社長》に必ず伝わるようにつくられています(もしかしたら未知の深遠な理由があるのかもしれませんが)。このように「警報の大きさ」と「異常の深刻度」にはしばしば乖離があることを知っておくことは、過剰な不安に陥らないためにも役に立つ知識となるでしょう3

心《社長》は「痛みのしくみ」も知りません。侵害受容器《警報センサー》からペインマトリックス《役員会議》に至る感覚神経系の存在すら知りません(皆さん、知らなかったでしょう? 実は私も最近までは知りませんでした……)。心《社長》は自分が漠然と脳《本社》にいると“思って”いますが、脳のしくみも知りません。

それでは、なぜ私たちの体組織の感覚はこんなふうに雑にしか心《社長》に伝わらないのか? 心《社長》はなぜ肝臓のことも、腰のことも、そして脳のこともまったく知らないのか? 答はたぶん「それで問題ないから」「知っていてもどうしようもないから」ということだと思います。

私たちは自分の体であっても、体内は見ることができないし、触れないし、いじれない。だから異常が起こっても「手の施しようがない」。詳しく知ってもムダなのです。これもまた適応的ということでしょう。