心頭滅却すれば痛みは消えるか?
神経科学の研究により、私たちの脳の機能のほとんどが「無意識」に働いていることがわかってきました。心《社長》が内臓《メインテナンス》、呼吸器・循環器《インフラ》、運動器《営業活動》のしくみを知らなくても体《会社》は機能します。多くの臓器は故障して痛みが出て、初めて心《社長》はその存在を知るところとなります。
注意(指向性)は意識の重要な機能です。私たちの心にはさまざまな感覚が届いていますが、瞬間瞬間はひとつのことしか意識できません。考えごとをしながら本を読んでいると内容をまったく覚えていないまま「気がついたら」ページをめくっていた、なんてこともあります。
聴覚でも「カクテルパーティー効果4」など、感覚を体験するためには「選択的注意」(特定の感覚に注意を向けること)が(1)必要です。私たちが日常的に体験している、馴染み深い現象です。
視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚とは違い、体の警報である痛みは必ず意識にのぼります。私たちは痛みを無視できません。「心頭滅却すれば火もまた涼し」なんていいますが、悟りを開いた聖者でも強い痛みは滅却できません5。
けれどもある種の、弱い痛みは、注意を別に向ければやわらげたり、消したりすることは不可能ではありません。誰もが経験するように、体が痛くてもそれが一定レベル以下のものなら、何か他のことに集中すれば、そのときだけは痛みを忘れることもできます。
実際、心の機能障害として起こるある種の「慢性痛」の精神療法では「痛みを注視しないこと」「他の事象に注意を向けること」を治療に取り入れています。
1 しかし考えてみるとこれは当然のことである。もしも私たちが痛みの出所を「右腹部、肋骨下端中央部、直径3cm、深さ5cm」などと精密に知覚できたとしても、そこに何があるのか知らなければ、どう処置したらよいかわからなければ、そのような「正確な知覚システム」があっても役に立たない。
私たちの誰もが解剖学の知識を生まれつきもっているならば、そうした知覚システムは少しは役に立ち、自分で「胆嚢疾患」と診断できる。
だが、自分で手出し(手術)はできず、治療はできない。であるから、やはり解剖学の知識はあってもムダなのである。
2 原子炉の異常なのか原子炉建屋の異常なのか区別できないようなものである。
3 激痛の原因が「深刻な病気」の場合はある。運動器疾患ではまれだが、寝ていても感じる激しい腰痛は「動脈瘤」の可能性もある。やはり激痛が起こったら医者に行くべきである。
4 騒々しいカクテルパーティーの会場でも、自分の名前が聞こえたりするとその会話に注意が向き、会話の内容が聞き取れるという現象。聴覚の指向性の例。
5 イエス・キリストもブッダも最後は痛みに苦しんだというのが史実である。
【参考文献】
(1)スタニスラス・ドゥアンヌ、高橋洋 訳『意識と脳 思考はいかにコード化されるか』紀伊國屋書店、2015年
次回更新は8月7日(木)、8時の予定です。