研究史 〜むかし痛みは情動だった〜

古代(ギリシャ・ローマ時代)において、痛みは喜怒哀楽と同じく情動と考えられていました(2)。五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)が明らかな外的刺激によってだけ生じるのに対し、痛みはしばしば内的な原因が明らかでないこと、五感は情動を伴わない中立的な場合もあるのに、痛みは常に不快感を伴っているからです。

触覚もそうですが、痛みの感覚受容器がはっきり目に見えないことも、痛みが感覚とされなかった理由でしょう。脳、脊髄、末梢神経を神経系といいます。神経組織の存在は古代から知られていました。

しくみは近代になるまで不明でしたが、ケガや病気をした人の観察から神経が感覚を脳に伝えていることはわかっていました。顕微鏡で観察される神経細胞の姿と、そこを情報が伝わるしくみが解明されたのは20世紀になってからです。

このように痛みは情動に分類されていましたが、やがて体で生じ、神経系により受容され、脳で知覚される、感覚の一種であることがわかってきました⑵。17世紀フランスの哲学者ルネ・デカルトは「人間機械論」を唱え、痛みが感覚の一種であり、体がとらえた刺激が神経を伝わって脳に至って知覚されたものだと主張しました。

こうして痛みもまた、視覚や聴覚と同じく感覚の一種であると認識されるようになっていきました。 


1 空間定位ともいう。光、音、味、皮膚触覚は感覚の発生源の位置を明確に知ることができる。興味深いこととして、痛み以外の情動も身体空間に定位される傾向がある。周知のように、怒りは「腹」に、不安は「胸」に感じられる。ある情動が体の特定部位に空間定位されるしくみと理由はまだよくわかっていない。

【参考文献】

(2) 松村むつみ『「エビデンス」の落とし穴「健康にいい」情報にはランクがあった!』青春出版社、2021年

次回更新は7月25日(金)、8時の予定です。

 

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