【前回記事を読む】田沼意次の孫には、咎人の刺青が彫られていた。その理由は―「正義だと思って俺も賄賂を贈った。すると父上が腹を切ろうと…」

鼠たちのカクメイ

この数か月大坂町奉行の大牢は、大塩事件の容疑者たちですし詰め状態だった。座敷牢のひとつには、平八郎の実質上の妻であるゆうと格之助の嫁みねが囚われていた。後ろ手に縛られ、ひざの上には石板が数枚乗せられている。

「みね。ここが正念場やで」

「はい。でも、お義母さん」

その隣の牢には、ひとり部屋に寝かされた弓太郎が泣きじゃくっている。

「かあさま。ばあさま。ゆみ、おなかすきまちたあ」

あろうことか弓太郎は、まるで犬ころのように首に縄を掛けられ満足な食事も与えられてはいなかった。みねにとっては膝の上の重しなどより、ひとり息子の泣き声の方がはるかに拷問だった。

「みね。返事したらあかん。慰めたところで、わてらは何もでけん。かえってぼんを絶望させるだけなんやで」

「はい。わかってます。でも、弓太郎だけは、なんとか……なんとか」

押し殺したみねの嗚咽は弓太郎に共鳴し、幼児はさらに泣き叫んだ。その光景を眉をひそめて見守る者がいる。西田明信という与力である。彼は与力の職務である咎人の取り調べを一通り終えたところだ。毎日毎日十数人から聞き取りをし、白状記(供述書)を作成していかねばならない。

まことの咎人ならばともかく、みねたちのような被疑者から出てくるはずもない罪科を引き出すのは胸が痛む。まして西田は平八郎が現役時代に与力職のいろはを習った後輩でもあった。だが、宮仕えである。上司に報告せねばならぬ。