【前回記事を読む】「これが幕府の威信を吹き飛ばした男の顔か」大塩平八郎の首を見て高笑いする家斉。誰もこのワンマン大御所を止められない
鼠たちのカクメイ
結
「ははは。さて、男谷と申したな」
カイはひれ伏したまま「は」とだけ答えた。
「田沼意留と昵懇だそうじゃな。この功により褒美をとらす。仕官の望みがあれば、この場で申し伝えよ」
ありえないことだが、大御所自らが抜擢を宣言したのだ。幕閣たちはしんと静まり、カイの言葉を待った。よもや大御所の新たな側近がまたひとり増えるのか?
「畏れながら、それがしの望みは仕官にあらず」
「ほう? これは無欲な。誰ぞに聞かせてやりたいもの……いや、聞いておるか」
家斉が忠邦と跡部を皮肉って見やる。再び辱められた跡部が八つ当たりのようにカイに向けて声を荒らげた。
「し…仕官でなくば、何と申す!」
カイは跡部を上目使いに見据えた。そもそもの発端はこの男だ。獲るべきはこいつの命か? ひれ伏した左手の中に隠されたものは、鋭利な甕の破片だった。その場にいる者たちがずっと彼を注視していたはずだが、平八郎の生首のインパクトが陽動になってくれた。
「御前である。申せ」
そう言った忠邦を見た。相良藩で政の仕組みを教わった。廻し米を弟に指示し、建議書を握り潰したのもこの男と思われる。獲るべきは跡部を裏で操ったこの男か? 教えてくれ、先生。
カイは中段の間に置き去りにされた生首を見やる。一瞬、カイの耳に平八郎の声が届いた……狙うべきは……ああ。あの時先生はなんて言ったんだっけ? カイは破片を握り締めた。破片が掌にちくりと刺さった瞬間、心の中に大筒の砲声が響き渡る。