鼠たちのカクメイ

箱根口。ここからは万丈の山と千尋の谷が待つ八里の旅路となる。三枚橋で海の香りをまとい物見遊山気分だった旅人は、ここで潮風に吹き飛ばされる。先行きを仰ぎ見て萎えるのだ。

ただ旅慣れた田沼意義は、道の険しさとは別の障害を感じていた。江戸市中を詮索し相良藩邸を出たあたりから尾行の気配があったのだ。

小田原で泊った宿を出立する際、その追手をおびき寄せて始末する決心をした。道は木々や草葉の茂りで見通しが悪くなるし、人影も減る。仕掛けさせるには格好の場所だろう。

峠の一本道に入った。後ろからついて来る者は大小も携えてはいないのだろうか、鞘がかち合う音がしない。足音も江戸からつけていた男とは違う気がする。

ちょうど大木が見えてきた。休むふりをしてやり過ごしてみる。目の前を通り過ぎて行くのは旅姿の小柄な町人然とした男だった。

(侍ではないが、町人とも違う。妙な気をまとっている)

意義は左の親指で刀の鍔をなでる。小男は暫く先を歩いたが、立ち止まって辺りを見回してから意義を振り返った。

「あのう。お侍様」

その者が懐から何かを出して歩み寄って来た。殺気。意義はうしろに飛び退き、居合い抜いて相手の右手首をスッパリ斬り落とした。

「ギャー! いてえ、いてえよ」

喚きながら転げ回る。よく見るとまだ十代半ばの少年のようだ。

「武士の情け。命は助けてやる。明日からもの乞いでも致せ」

「道を、道を訊こうとしただけじゃねえかよ!」