【前回記事を読む】「これ以上の延命は苦しめるだけ」と医師に言われ、横たわる母の手を握りながら「お母さん、どうしたい?」と問いかけた。
第十四章 喪失
母を火葬した。
骨壺を抱えて帰宅したとき、家は静まり返っていた。
「ただいま」
誰も答えない。
「お母さん、帰ってきたよ」
誰も答えない。
当たり前のことなのに、その静寂が胸を締め付けた。私は母の部屋に骨壺を置いた。遺影を並べ、花を飾った。
「お母さん、ここにいてね。しばらくは、ここで一緒に暮らそう」
遺影の中の母は、優しく微笑んでいた。北海道旅行のときに撮った写真。ラベンダー畑を背景に、幸せそうに笑っている母。
「いい写真でしょ。お母さん、すごくきれいに撮れてるよ」
返事はない。
私は遺影の前に座り、ぼんやりと母の顔を見つめていた。
母がいなくなってから、私の生活は一変した。
朝起きても、母の「おはよう」がない。食事を作っても、一緒に食べる人がいない。テレビを見ても、感想を言い合う相手がいない。
何をしていても、母のことを思い出した。
台所に立つと、母が料理をしていた姿を思い出す。庭を見ると、母が花の手入れをしていた姿を思い出す。こたつに入ると、母と一緒にみかんを食べた時間を思い出す。
家中のあらゆる場所に、母の思い出が染みついていた。
最初のうちは、それが辛かった。どこを見ても母を思い出し、そのたびに涙が出た。でも、次第に、その思い出が私を支えてくれるようになった。
母はいなくなったけれど、母と過ごした時間は消えない。母の言葉は、私の心に残っている。母の愛情は、今でも私を温めてくれている。
「人間は3度死ぬ」という言葉を、私は思い出した。
母は今、2度目の死を迎えた。肉体的な死。心臓が止まり、呼吸が止まり、体が動かなくなった。でも、3度目の死は、まだ来ていない。
私が母を覚えている限り、母は存在し続ける。私が母の人生を語り続ける限り、母は生き続ける。だから、私は母のことを忘れない。母の人生を、語り継いでいく。
それが、私にできる最後の親孝行だと思った。