【前回の記事を読む】「合格までは責任を持って教える」恋心を寄せる教え子と距離を置いた…だが彼女は「社会のことも教えてほしい」と見つめてきて…

第二景 陽葵

先輩には、これまで授業の進捗を定期報告しているだけで、陽葵が俺に好意を抱いて授業以外の話に時間をとられていることを詫びた。

しばらく先輩は腕組みをして目をつぶり思考に耽っている。やにわに目を開けて、「お前の初めての生徒だもんな。合格して欲しいよな。俺だって親戚の子だ。合格して欲しい」

またしばらく思考に耽る。

俺はその思考の邪魔をしてはいけないと本能的に悟り、部屋の角で縮こまっている猫のようだ。先輩は意を決してこう言った。

「よし、お前は最後の授業のことだけ考えろ。後は俺と叔母さんで何とかする」

俺は先輩に下駄を預けた安堵と自分で解決できない不甲斐なさの入り交じった感情の中、家庭教師センターを後にした。

最後の授業の前日、先輩から電話があった。これからも恒星と連絡をとりたいときには、先輩とお母さんに一言声をかければ連絡をとっていいこと。恒星に自慢できるような大学に入学したときに、陽葵の気持ちが変わってなければ、アタックしてもいいこと。そういったことを、叔母さん、先輩、陽葵で話し合ったそうだ。

最後の授業、陽葵が平常心で俺を受け入れてくれるのか、いささか不安はあったが、それはおくびにも出さず数学の総まとめ授業をした。陽葵もいつもの明るさを装って授業に応じている。そして、終了の時間が来る。

「大丈夫?」

何が大丈夫なのか、それが恋のことなのか入試のことなのか自分でも判然としない中、陽葵に尋ねた。

意味不明なんだろうけども、陽葵は小さく頷く。

「私、頑張るよ。不合格なんてなったら、先生の面目丸つぶれだもんね」と気丈に答える陽葵。そんな陽葵を見て、無性にいとおしくなってくる。

部屋を出て、階段を下りる。降りた先には、お母さんが立っている。

「長い間、お疲れ様でした」

何事もなかったかのように、そう言って労ってくれた。玄関で靴を履く。門扉を開けて路上に出る。お母さんと陽葵も後を追って見送ってくれた。最後に一礼して踵を返す。十歩ほど進んだだろうか、振り返るとお母さんは陽葵の肩を抱いている。

陽葵は泣いているのだろうか。

「陽葵、泣いたらあかん」

感極まって、生まれ故郷の言葉が口をついた。

「どうか神様、陽葵が実力を発揮できますように」

俺は天を仰いで、帰り道をゆっくりと歩を進めた。

第三景 歩夢

陽葵の面倒を数回みた頃。俺は簡単な経過報告をするため、先輩の家庭教師センターを訪れた。

一通り報告し終えた後、先輩が言う。

「すまん。もう一人お願いできるかな?」

あぁ、来るんじゃなかった。後悔の念が押し寄せた。

「先輩、俺、芝居の稽古やらなんやらの時間も欲しいもんで……」

「ほんとすまん。その分時給弾むからさ」

時給アップの話に気持ちが傾いた。というのも、未だ俺は劇団のチケットを買い取って、売りさばくのに苦労しているからだ。貧乏生活の足しになるなら、やむを得ないとしぶしぶ引き受けた。