【前回の記事を読む】母子家庭で育った中学生の弁当は、いつも箸いらずのものばかりだった…その背景には、“とある発言”が影響していて……
第三景 歩夢
中学二年生になってクラス替えがあった。その中にすべて左利きの同級生がいた。
弁当をたどたどしく食べる俺に、そっと「左利きの何が悪いねん。もっと自由に生きようや」。そう言われた。
そうだ、この不自由な世界を脱出しようと思った一言だった。次の日から、俺は左手で箸を持ち弁当を食べた。
机を寄せあっていた同級生からは、「あれ? 恒星って左利きやった? 右手で食べてたよな?」
そう言われたときに、「からかわれるのが嫌やったから」そう言いながら、あぁ、みんなにからかわれるかもと思ったのだが、みんなの反応は予想外のものだった。
「何無理してたんや。早よ言えよ。俺たち何を理由にからかうことがあんねん。野球部のエース、確か左投げ左打ちやで」
なんだ、簡単なことだったんだ。一気に心のたがが外れた。
俺はこんな一連のことを歩夢に話した。今時は左利き用の文房具がある時代だ。左利きはマイノリティかも知れないが、個性として認められている。
歩夢に訊いてみた。
「左利きで困ることは何だ?」
“はさみやカッターが使いづらい”
“横並びで食事するときに、隣の人と腕がぶつかる”
“自動改札に切符をいれるとき”
“リコーダーやギターも右利きが前提になっている”
“素振り”
“なにより左利きを指摘されるのが嫌だ”
こんな答えが返ってきた。こんなに次々とだ。
俺が子どもの頃は、本当に世の中、右利きが当たり前だった。
今や世の中は「ダイバーシティ」と言われているものの、それでも左利きには不自由なことが多い。
高齢女性の場合、昔は、左利きは行儀が悪いとされ、左利きのままだと親のしつけがなってないと言われていたようだ。
特に右にならえの風潮が強い時代だったので、団体行動を乱す人は許されなかったのだろう。個性よりも規律が重んじられた時代だった。
お年寄りは自分が左利きを恥ずかしいこととして隠していたに違いない。
高齢者から自分の親の世代、左利きは特異なことという考えが連綿と受け継がれてきたのだ。無理な持ちかえは障害をきたす。それが明らかになったのは近年のことだ。
きっと卓球部の素振りも、無理やり右手でしていたのであろう。