「歩夢、ラケットはどっちで持ってたんだ?」
「右」
「鉛筆は?」
「学校でだけ右、あと恒星先生の前で」
歩夢は自意識過剰で、今まで生きづらさを感じていたに違いない。不器用な右手でラケットを持つことだけでさえストレスなのに、その上厳しい練習が待っている。
歩夢にのし掛かる重圧はいかばかりであったか。おそらく歩夢が学校に入って、まずぶつかった壁はハサミだろう。今では左利き用のハサミはあるが、他にどうしようもないこともある。
テストの解答用紙、解答欄はほとんどが右側、解答を記入しながら、もう一度問題を見ようとすれば書き手の左手を持ち上げないといけない。問題文が手で隠れているからだ。
こんなふうに多数決の論理で我慢しなければいけないのは大抵左利きの人だ。
俺は今も不自由に思っている日常を話した。
“ペンや鉛筆は右利き用になっている。なぜなら右手で持ったとき社名が読めるようになっている。左手で持ってみたら逆さまだ”
“レストランのスープバーのおたまのそそぎぐちは右利き用だ”
“パーキングの料金所。料金を払うのも右利き用になっている”
“ファストフードのドライブスルーもそうだ”
“学習机の引き出しは右側についている。筆記用具やプリントを出すときに身体を捻じらなければならない”
そんなこんなで、社会は右利き優先でできているのは否めない。
ここまで歩夢に話した後、左利きの優れている事例は何かを話した。