私塾としての講堂や図書室、さらには十数名の家族、使用人、書生が寝泊まりするほか、大塩家の屋敷には広大な作業場もあった。半年ほど前からここには火薬や弾薬の製造、武器の修理などを行う鍛冶職人数名も起居している。格之助がカイを奥の布団部屋に案内する途中で、その土間のそばを通った。
「何だよ、ここ」
「銃器や焙烙(火薬)を作る作業場だ」
棚には火薬や薬品の類が並んでいる。カイはひとつひとつ興味深そうに見て回る。
「わっ!」
彼を驚かせたのは大きなガラスの瓶だった。そもそも透明の容器を見ることがない上に、中には魚の標本が浮かんでいた。魚は雷魚だろうか。
「それは、十年前に父上が釣り上げたものだ」
「十年? 腐らないのか?」
その棚には他にも、亀やトカゲなどの標本が陳列されている。
「うむ。あるこおると言ってな、強い酒をさらに醸造したものに漬けてある。密閉しておけば二、三十年は保存できる。大塩平八郎の悪趣味の一つだ」
布団部屋は家族の者が片付けたのだろう。カイひとりが寝るには十分のスペースだ。
「今夜から、お主はここで寝泊りいたせ」
カイは掛布団をめくってみた。これから冬に向かう時期、茣蓙ではなく綿の入った布団はありがたかった。自分は田沼意義に手首を刎ねられてから、随分ツイてる気がする。
「なあ、あのおっさんは何しに江戸に行ったんだ」
そうだ。オイラは結局おっさんの事は何ひとつ聞かされないまま、ここまで振り回されている。格之助は質問には答えず言った。
【前回記事を読む】爆ぜる音が連続して鳴った。一斉射撃の訓練らしい。「すげえ。おっちゃん、戦でも始めんのかい?」「坊主、ええ勘しとるやないか」
次回更新は2月22日(土)、11時の予定です。
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