家は鐘塔のすぐ脇にある小さな平屋だが、男やもめがカーシャと暮らすにはこれで十分だ。鐘塔もわが家だと思えば立派すぎるくらいだ。

カーシャは身体的な面から見れば、動作になんら支障はない。だから日常の生活に困ることはないはずなのだが、人と呼応することがやや困難なためまわりの人間は苦労する。

それはふつうならすんなりと浸透(しんとう)するはずの水が強力な撥水(はっすい)加工で弾かれるかのようだ。たとえば服のボタンを順番にかけることとか、ズボンのベルトの締め方とか、誰もがなんの考えもなく当たり前にやっていることが、彼にはそう易々(やすやす)と通用しないことがある。それをニコは忍耐強く、繰り返し教えて躾(しつ)けてきた。

ところが、そうでもないこともある。

カーシャを預かることになったニコが最初に鐘塔の上まで彼を連れていった日のことだ。

木戸を開け、木組みが剝き出しの空洞を見るなり、彼は口をぽかんと開けたまま、両腕を高く突きあげた。そして二層目へ向かう二つに折れ曲がった階段を率先してあがっていった。

そこは一層目よりも少し狭い空間で、床の中央部分は左右に跳ねあがって開閉する仕組みになっている。この穴はまさに大鐘をつりあげたときの穴で、昔は鐘から垂れた紐に鐘つきがぶらさがって、この穴を上下しながら打ち鳴らしていたものだが、大鐘も今はモーター式になったため普段は閉じられたままだ。

それを開いて見せてやろうかと思ったが、カーシャはそんなことにはちっとも興味を示さず、つるされた鐘ばかりをじっと見あげ、早くいこうとニコの手を引っ張った。

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次回更新は11月2日(土)、21時の予定です。

 

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