第三章 焦燥

ところが、その母はカザルスが九歳になる直前、たび重なる流産がもとで二十八歳という若さでこの世を去った。

残された父は母の実家へ義理立てをして、その後正妻を娶(めと)ることはなかったが、妾腹(しょうふく)で何人かの妹が生まれた。妹たちはやがて順次に修道院へ送られていったが、そんな中で一人だけ父が手放さなかった娘がユリアだった。

末娘ということもあったが、赤子の頃から際立って愛くるしく、成長するにつれて花のように麗しく咲き育っていく娘を、父はことのほか可愛がり、カザルスも兄として接する以上の喜びを感じて過ごしていた。

カザルスは十八でその父から騎士の叙任を受けたのだが、その叙任式に出席するため、まだ存命であった母方の祖母が遠路はるばる来てくれたことがあった。幼い頃会った記憶が微かに残っている。母が死んだ時にも、

「可哀想なグザヴィエ」と自分を強く抱いてくれた祖母だ。

それからは定期的な手紙のやり取りしか交流がなかったが、何か期するところがあったのか、その時は半月(はんつき)の間プレノワールに滞在した。

叙任を受ける孫の姿を目当てに訪れた祖母を一番喜ばせたのが、当時六歳だったユリアの存在だった。

あどけないユリアの姿に、十年も前に若くして死んでしまった娘イザベラの幼い頃の姿を重ね合わせたのか、祖母はユリアを滞在中ずっと傍に置いて片時も離さなかった。

その祖母が帰る日、礼拝堂の前で皆で別れを惜しんでいた時のことだ。一陣の突風が吹いて、祖母の襟巻きが空を舞った。

家来らが慌てて追ったが、薄絹は風に飛ばされて礼拝堂のガーゴイルの首にふわりと引っかかった。祖母は笑って、

「私のユリアにあげるわ。破かないようにそっと取ってもらいなさい」

と言い残して帰った。優しい祖母の形見として、ユリアはこの襟巻きをずっと大事に使っていたが……。

あの日、森の小川で一人の男と出会ったユリアは、この襟巻きも何もかもを未練なくうち捨ててギガロッシュへ入っていった。