妹に対する以上の気持ちを秘めながら、親代わりとして彼女を守り育んできたカザルスにとって、その衝撃はたとえようもなく大きかった。
当時はまだ魔境として誰一人近づく者もなかったあのギガロッシュだ。ユリアを愛していればこそ、その裏切りは耐えがたく、カザルスはユリアにまつわるものをすべて捨て去って、記憶に蓋をした。
だが、唯一その時に捨てられなかったものが、この襟巻きだ。亡き母から祖母へ、そしてユリアへと、三人の思い出を繋いだこの襟巻きだけは、どうしても捨てるに忍びず手許(てもと)に残した。
しかしそんなものを女々しく持っていることを人に知られたくもなく、彼はそれをこの引き出しの中に隠したのだった。取り出して眺めたりするためではない。始末できなかった自分の思いこそがそこにあるのだ。
今日、バーラスという男からユリアの訃報が届いて、二十数年ぶりにこの引き出しの中にしまっていたことを思い出した。
――ユリアも……死んでしまったか。
カザルスはそのままそっと引き出しをもとに戻した。もう二度と開けることもあるまい。そう思ってカザルスは鍵を抜いた。
ファラーとユリアの死は、ヴァネッサの民の間に瞬くうちに伝えられた。
村人の敬愛を受けながら、なかば解放の犠牲となってオージェに隠棲(いんせい)していたファラーの不慮の死は、等しく村人の心を痛め、彼らに深い悲しみを与えた。だが、二人の死が広く領民たちの間にも伝わるにつれ、それはまた思いもよらぬ様相を呈していった。
「ユリア様って方がカザルス様の妹君だっていうのは本当の話なのかい?」
「ああ、そうなんだよ。カザルス様がそのことにはお心を閉ざしておられたから無闇に噂話もできなかったんだが、実はその昔、大胆にもお一人でギガロッシュへ入っていかれた姫様がいらしたんだよ」
若い領民には知れ渡っていなかった話があちらこちらで取り沙汰された。
「しかし何とも深い運命(さだめ)もあったもんだね。その姫様が向こうで生んだ子が例のシルヴィア・ガブリエルだっていうじゃないか。あんな恐ろしい場所の民がって思っていたけど、不思議な縁があるんだねえ」
「あの美しい若者はどこか違うお人だと思っていたけど、なるほどねえ、そういうことかい」
劇的な出会いや死が、ある種の憧れに似た感動を呼び起こし、巷に広がっていった。
彼らやカザルスのかかわった運命に、人々は深く感銘を受け、ヴァネッサという閉塞された村の民が、二百年という時を置いてこちらの世界に立ち戻った奇跡をむしろ好意的に受け入れはじめた。
【前回の記事を読む】足を滑らせたユリアが川に落ちたのをファラーが咄嗟に助けに入ったが、水流は激しく、二人は抱き合ったまま流され…
次回更新は12月20日(金)、18時の予定です。
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