【前回記事を読む】「至急病院に来て欲しい」妊娠した妻の病院から電話があった。病院に飛ぶと、妻は集中治療室の中で......
一人十色
手術を終えて我が息子と初対面した。通常なら周囲に祝福される瞬間だが、低体重児だったのですぐにNICUに回され、妻は息子の顔が見たいと微かに言っていたが、「後でゆっくり見られるから今は安静にして」と言ったのを今でも後悔している。
妻はICU病室から個室に移ったが寝たきりの生活だったため、息子を一瞬見ただけでまだ会えていない。妻も息子も体力が伴わないので面会謝絶状態なのだ。妻の意識は二日しか持たなく、その間に息子の名前をふたりで決められたのが不幸中の幸いだった。
意識が無くなってからは妻の病室と息子の病室との往復が待っていた。息子は低体重児で生まれて体中を管で覆われていたため、抱くこともできず病室に入ることもできず、ただガラス越しに成長を見守るだけだった。妻も同様に管でつながれていて顔や手を拭いてあげるのがやっとである。
そんな生活に身も心も疲れ切っていた黄昏時に病院の屋上に行き、ラジオをつけると二人で聴いていた懐かしいパーソナリティの声がとても切なかった。
なぜか無意識に屋上の柵を越えて縁に佇んでいる。まるで次の電車を待っていて電車が来たら乗らなければ、そんな感覚である。電車がやって来た。乗り遅れないようにしなければ、ただそう思うだけである。
ドアが開き乗り込もうと一歩足を出した瞬間、どこからか赤ん坊の泣き声がした。一瞬にして我に返り、足がすくんだ。今思えば屋上で赤ん坊の泣き声がするわけがない。妻と息子が引き戻してくれたのか、そう思った。
約二か月後に妻は私と息子から静かに去って逝った、余りにも短い二十七年間の人生である。
祝福から悲しみに変わる春の終わり、孫の顔が見られると楽しみにして北海道から訪れたお袋は急遽葬儀の参列者となり、そのまま孫の世話をすることになるのだった。