波乱万丈の生活が待っていた。職場はこの状況を理解して、私の仕事をスリム化し、妻と私の友人の協力もあり、育児をとりあえずこなすことができた。だが、男ひとり、高齢のお袋ひとりにとって生まれたばかりの子どもを育てるのは並大抵のことではなく、当時の社会は男性の育児に関して環境が整っていないので大変である。

例えば男性トイレには育児用ベッドが無く、汚れた床に持参のシーツを引いて作業するしかなかった。「母親」ばかりの「母親学級※」にひとり父親が参加するのにも抵抗があり、今の時代、父親が子どもをベビーキャリーで抱っこする姿は通常だが、当時は周囲の視線を気にしていた。

数年が過ぎたころ、お袋の勧めもあって再婚を考えるようになり、縁があって家政婦協会※から時々息子の世話をしに来てくれていた女性と再婚し、お袋はそのあと放置されていた北海道の実家に戻っていった。時を経て再婚相手との間に娘が生まれた。我が家系では親父の妹以来五十年振りの女性だったらしい。

そんな生活のさなかに私の大腸癌が見つかった。大腸検診により影が発見され、再検を勧められたが忙しく無視していたら、担当から強く、検診に行きなさい、と促されたので仕方なく行くことにした。レントゲン技師からもこの影は問題ないのが多いですね、と言われたが内科の先生は違って、大腸の専門家に診てもらうように手続きしてくれた。

後日専門家に診てもらったところステージⅣの手前の大腸癌だった。もう少し発見が遅れていたら全身に転移していただろうと言われ、強く勧めてくれた担当者に感謝した。入院生活は三か月に及ぶことになる。

子育てに慣れた妻だったので義息子や娘を育てるのは得意だと勝手に思い、育児を妻に任せきりにして仕事に復帰したのが間違いだった。

少しずつ親子四人の関係が壊れ始める。責任感の強い妻は義息子も愛せると思っていたらしくそれが災いする。娘が生まれるとどうしても娘を優先してしまう自分が嫌になってしまったらしい。人間だから仕方ないのだが、どうしても許せなかったようだ。

妻が壊れ始め、そのあと息子も壊れ始めていった。


※は当時の文言のまま記載

 

次回更新は7月1日(火)、11時の予定です。

 

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