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そんな伝説に基づき、子どもの無病息災を願う「大王の祭り」がずっと執り行われてきた。よそからも人が見物に訪れるような立派な祭りだったが、紛争が起きた年から中断され、再興の見通しもたっていない。

バスは村の一番大きな通りに入り、煉瓦(れんが)造りの役場の前で止まった。役場は集会所であり、ダンスホールであり、ときにはホテルであり結婚式場でもある。要するに何もかもを賄(まかな)う施設だ。

隣には低学年の子どもだけが通う小学校があるが、紛争の影響で教師の数が減り、補充されないまま放置されている。大きな子どもがバスで隣町まで通っているのはそのためだ。

紛争のもっとも大きな影響を象徴しているのが、通りの中ほどに立つ石造りの鐘塔だ。おそらくこの村に現存する一番古い建造物で、中には大鐘が一つと、カリヨンと呼ばれる前打ちをする十六個の小さな組み鐘がつるされていた。

カララーン、コロロン、キン、カラローンと美しいカリヨンの音色が空を駆(か)け巡(めぐ)ったあとに、ガウン、ゴーンと大鐘の深い響きが鳴り渡る。これは村の自慢だった。朝な夕な村人は鐘の音とともに暮らし、祝いの日にも弔(とむら)いの日にも、そして祭りの日にも、この鐘はそれぞれの音色を奏でていたものだ。