ここで、「サークル協議会」による「30番台教室自主使用」までの経過を見てみよう。そのためには、まず、東北大学の長年にわたる懸案となっていた「大学キャンパスの移転計画」を見る必要がある。1965年に、東北大学「川内・青葉山総合移転計画」が発表された。ところが、この移転計画の中には、サークル棟に関する具体的な計画は何も含まれておらず、現在使用中の木造の第1、第2サークル棟は取り壊されることになってい…
学生運動の記事一覧
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評論『東北大学処分粉砕闘争』【第5回】石井 恭平
【学生運動】1973年1月、密約が結ばれた。東北大学当局が提示する移転案を、サークル員全体の意見を全く無視して承認し…
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評論『東北大学処分粉砕闘争』【第4回】石井 恭平
「不法占拠」、学生への退去命令!?―部室のないサークルを中心に、教室自主使用を開始したところ、大学当局は…
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評論『東北大学処分粉砕闘争』【第3回】石井 恭平
初めは部室もなく、事務室を毎度借りていたサークル「社会経済研究会」のはじまり。
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評論『東北大学処分粉砕闘争』【第2回】石井 恭平
ある展覧会で東北大学の学生運動の資料が全くないのを見て共有できるものを残しておく必要性を感じる
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評論『東北大学処分粉砕闘争』【新連載】石井 恭平
若者には社会を自由に批判的に見ることができるという特権に吹き荒れた1960年代後半