【前回記事を読む】【学生運動】サークル棟の移転先は、市営道路開通予定地!? いつ取り壊されるか分からないところに部室を移動させるなんて!
その1 始まり
6月23日、30番台自主使用
サークル協議会総会が、1975年2月1日、5月7日、6月9日と3回行われ、これまでの「30番台自主使用」という方針が再確認された。サークル協議会総会を受けて、「サークル協議会」と「サークル活動専門委員会」との団交は、それぞれ2月3日、6月11日と2回行われた。
ここでは、「第1、第2サークル棟の一方的な解体をしない」ことだけは確認された。しかし、「30番台教室開放」「教養部恒久サークル棟」実現については、平行線であった。
そして、この状況を打破すべく、6月13日のサークル協議会総会において、「1サークル1部室の原則」に基づき、「部室のないサークル」を中心として「30番台教室」の自主使用を開始することが決議された。
その後、6月19日に「部室のないサークル連絡会議」が開かれた。最後に、「サークル協議会」の求めにより全サークル員会議が行われ、この方針が再度確認された。
「サークル協議会」は、「30番台自主使用」に向けて、サークル員全員の意思を確認すべく、これまで民主的で、慎重な手続きを踏んでいた。
そして、6 月23日にいよいよ「30番台教室自主使用」が始まったのである。6月23日に、「サークル協議会」の「30番台教室自主使用」という事態を受けて、教養部臨時教授会が開かれた。
ここで、この「30番台教室自主使用」は、「不法占拠」であると決定された。そして、学生側との一切の対話を拒否し、「拡大連絡会議」(後述、33~34頁)に教養部教授会の全権を委任することが決定された。
さらに、この4日後の6月27日の教養部教授会で、菅野喜八郎教官(日本国憲法)が「今回こそは、東北大学から学生運動を根絶するチャンスである。学則による処分を行いたい。