ところが、1月19日に「社会思想研究会」というサークルから、「1・12協定」に関する公開質問状が「サークル協議会運営委員」に提出された。これに対して、当時の民青系「サークル協議会」は、サークル協議会総会も開こうとせず、質問に答えないなど、全く説明する姿勢を見せなかった。2月15日、「第1、第2サークル棟」の取り壊しに反対するサークルは、民青系の不透明な「サークル協議会」の運営の仕方に対抗して、「…
[連載]東北大学処分粉砕闘争
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評論『東北大学処分粉砕闘争』【第6回】石井 恭平
【学生運動】サークル棟の移転先は、市営道路開通予定地!? いつ取り壊されるか分からないところに部室を移動させるなんて!
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評論『東北大学処分粉砕闘争』【第5回】石井 恭平
【学生運動】1973年1月、密約が結ばれた。東北大学当局が提示する移転案を、サークル員全体の意見を全く無視して承認し…
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評論『東北大学処分粉砕闘争』【第4回】石井 恭平
「不法占拠」、学生への退去命令!?―部室のないサークルを中心に、教室自主使用を開始したところ、大学当局は…
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評論『東北大学処分粉砕闘争』【第3回】石井 恭平
初めは部室もなく、事務室を毎度借りていたサークル「社会経済研究会」のはじまり。
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評論『東北大学処分粉砕闘争』【第2回】石井 恭平
ある展覧会で東北大学の学生運動の資料が全くないのを見て共有できるものを残しておく必要性を感じる
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評論『東北大学処分粉砕闘争』【新連載】石井 恭平
若者には社会を自由に批判的に見ることができるという特権に吹き荒れた1960年代後半