東北大学処分粉砕闘争

プロローグ

ところで、私たちの世代もすっかり年をとってしまい、当時の熱かった時代の記憶もすっかり忘れられようとしている。また、本来なら当時の状況を生き生きと再現してくれるはずの証人もいつか忘れ去られ、処分紛争当時のビラも散逸してしまうばかりである。

また、残念ながら、当時のことについて書かれた出版物も、現時点ではほとんど見当たらない。さらには、当時、学生運動に関わった仲間もほとんどが沈黙を守ったままである。そして、私も同じようにずっと沈黙を守ってきた。

しかし、数年前に千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館で行われた「『1968年』―無数の問いの噴出の時代―」(2017年10月11日~12月10日)展を見たとき、東北大学での学生運動のことが全く空白になっているのを見たのである。

この叛乱の、社会的な激動の時代には、東京大学や日本大学で始まった学生運動が全国的に波及して多くの大学で大学紛争が起こった。実際に、この展覧会では、北海道大学、弘前大学、広島大学などの資料が展示されていた。

しかし、東北大学の資料は全くなかったのである。これを見て、どこか寂しさを覚えるとともに、共有できるような記憶を残しておく必要性を感じたのである。

東北大学では、当時、1965年からほぼ3年毎に学生運動の全学的な高揚が見られた。1969年には、大学立法粉砕闘争が高揚し、9月には教養部の無期限ストライキが行われた。

東北大学でも、全国的な学生運動の高まりに呼応して、問題意識を持った学生が立ち上がったのである。

しかし、1993年に教養部が廃止されるとともに、学生運動も表面上はすっかり下火になってしまったようである。

この点で、文部省(「文科省」の前身。2001年以降は、文部省と科学技術庁が統合されて文部科学省になる)や大学当局が行おうとしてきた学生運動の封じ込めは、表面的には非常にうまくいったようにも見える。

しかし、それ以降も、あたかも埋火のように、地下の水脈では時代の感性をとらえて、どこに向けたらよいのかわからない怒りや悲痛な思いを秘めている若者も、きっと大勢いるに違いないと思うのである。