【前回の記事を読む】今思い返してみても、悲しみをこらえきれずに泣いたのは、人生でその時だけ、ただの一度きりであった

悔悟の涙

そして、帰り際、僕が玄関を出ておもむろに振り返り、彼女に向って頭を深々と下げて、「今日は本当に有難うございました。また来年もよろしくお願い……」とまで言いかけたときであった。

つい先ほどまでは全く見知らぬ人であった僕に、少し打解けたせいもあったのだろうか、彼女は素直に思っている事を、そのまま胸の内には仕舞っておけない、余程お人好しの女性でもある様だった。

僕の帰りの挨拶を全く無視するかの様に、そして契約の事は、もうどうでもいいわと言いたげな表情を浮かべながら、玄関に座ったまま、相変わらずの上目遣いで、突然堰をきったように喋り出したのだった。

「しかし、あんたも本当に馬鹿よね。何でわざわざあんたみたいな若いひとが、それもW大まで入ったのに、こんなつまらない仕事で苦労しなきゃいけないのよー。

甥っ子が、友だちが今月ノルマを達成出来ないで困っているって言うから。本当の事言うと、前の保険屋さんとは、ずいぶん長い付き合いだったのよ。どうしようかと迷っていたんだけれど、色々と甥がうるさいものだから。

だけど保険の外交なんて、お愛想笑い浮かべて、おばさんたちのやる仕事じゃない?

わざわざ政経まで行ってさあ。何であんたみたいな若いひとが、かばん提げて他人にぺこぺこ頭を下げる様な、こんな苦労仕事をしなきゃならないのよ。あんたにもプライドがあるでしょう? 情け無いったらありゃしないわ。もっとあんたに向いた仕事、ほかに幾らでもあったでしょうに?

学生運動で、もっと凄い事やってたひとたちだって、いざとなったら、みんなちゃっかり卒業して、何食わぬ顔をして、平気で一流の会社や役所なんかに入っているんだからね。

茂も来るたびにいつも言っていたわよ。あんたの事、純粋バカって。いるのよねえ、あんたみたいなひとが本当に。だけど、こんなへつらい仕事やらせるために、ご両親もわざわざあんたを大学にやった訳じゃないでしょ? それでご両親、何とも仰らないの?」