外交を託された太子は、新羅にどのように対応するかを思案し、年が明けると同母弟の来目王子(くめのみこ)を征新羅将軍にして筑紫まで進軍させた。しかし王子はそこで病にかかりやむを得ず遠征は中止となる。

王子は年が明けると病がさらに進み二月には薨じてしまった。

太子は続いて異母弟の当麻王子(たいまのみこ)をあらためて将軍に任命し大和を進発させたが、同行していた王子の妃が播磨の明石で急逝したため遠征を取りやめることとなった。

音としては、勢威を示すことで戦わずに事態を収める考えであったと思う。隋の力を利用して半島諸国との関係を確定しようと、隋の納得する国づくりの方を急いだのだろう。

それ以降、今日まで新羅を征討せねばならない事態には至っていない。

太子の戦いを厭う思いとそれを現実にできる方策を講じていく。

憲法に「和を以て貴しとなす」とあるのはただ唱(うた)っているだけではなく、太子の信念だろう。

 

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