【前回の記事を読む】大人並みの体格になった息子の反抗は、次第に暴力的に…「服薬も考えては」とお母さんに提案するも、彼女はすでに鬱状態で……

第二章 熟慮の決断

母も子も自分を生きる

幼稚園の紹介を依頼される

療育中のある日、男性から電話があった。落ち着いた声のトーン、話し方を聞いた限りでは立場のある年配の人かなと想像した。

今、息子は保育園に預けているが、もうすぐ三歳になるのでこばとの療育を希望したいということであった。住まいを聞くと東京だった。

どのようなルートでこばとの存在を知ったのか聞かなかったが、面談の予約を入れた。

面談の日は子どもを連れずお父さんとお母さんだけが来た。子ども抜きで相談をしたいということだった。

外国出身のお母さんは母国で看護師をやっていたので、結婚後、日本の看護師資格を取るため現在勉強をしている、とお母さんの代わりにお父さんが説明した。

お母さんはあまり日本語が上手でないらしく、ほぼ、お父さんが息子の生育状態について説明してくれた。

お母さんは自分の勉強のため息子を保育園に預けていた。園は受け入れてくれたが、彼が二歳を過ぎると多動が目立ってきたし、言葉も明らかに遅れがあると誰の目にも分かった。

保育園側から息子に発達障がいがあるのでは、と指摘された。先生達も対応に苦慮していると言う。

両親は今後どうしたらいいのか分からないと言っていたが、よくよく聞いていくと、三歳から幼稚園の年少組に入れたいらしく、それが面談で一番聞きたいことのようだった。

発達障がいがあっても、入園できる幼稚園はどこかにないか、と聞かれた。

えっ、そんなことを聞かれても、と内心私は思った。

「東京都の幼稚園は分かりませんが、千葉市の近辺なら障がい児を受け入れているキリスト教系の幼稚園はありますよ」と答えた。

こばとの幼児教室にもその幼稚園の幼児が数人通っている。そのキリスト教系の幼稚園を紹介した。両親は心が動いたようだった。

そして彼の入園を決めると東京のマンションはそのままにして、お母さんと息子は幼稚園の近くにアパートを借りて住むことになった。その決断と行動の速さに私は驚いた。

引っ越しの後、お母さんが息子を連れて面談に来た。

彼は多動以上に、何かにつけて拒否的なところが目立った。保育園も手を焼いただろうことは想像に難くない。

彼はオウム返しではない二語文程度の言葉は出ていた。自発語はあったが拒否行動が激しく、動き方も衝動的だった。

こばとの幼児教室の数人もそのキリスト教系幼稚園に通っていたということもあり、彼の入園直前に男児の発達障がいの状態の説明もかねて幼稚園を訪問した。

訪ねた幼稚園は自由保育を謳っているだけあって、お祈りの時間以外は規制がなく、子ども達は自由に遊んでいた。

園長先生とも話す機会があった。園長先生は子どもには大らかに接していた。この幼稚園なら規制が少なくて彼もあまりストレスを感じないで過ごせるかなと思えた。