【前回の記事を読む】おひさま学級の6年生男子が被害者になった。おとなしくて愛嬌のある子だった。他の男子生徒達からズボンを下ろされて…

第一部 自閉症の世界への道

第三章 思いを形に 開業

海の家の「こばと塾」

開業初日はたった四人の子どもでスタートした。助手として雇った四年制大学の福祉学科の女子学生(後の正社員)はとても頼りになった。おひさま学級のT君とY君も来た。スタート時の四人全員自閉症。その後どんどん障害児が増えていったが、その大半が自閉症をもっていた。口コミで広がるほど自閉症の療育が求められていた時代だった。

通常学級への道のり

開業直後に増えていった子どもの中に自閉症状の強い就学前の幼稚園年長の男児が二人いた。一人は自閉症を特徴づける行動パターンがてんこ盛りだった。

扉の開け閉めにこだわり、歩行中進路の角は直角歩き。指の関節や手首をカクカク動かしたり回したりした。

言葉のこだわり、繰り返し、しつこさ、空笑(そらわら)い、自閉症の特徴と言われているもの全部を持っている感じだった。

しかも彼は当時流行り始めていた抱っこ法(阿部秀雄氏によって考案された療育方法)にも通っていた。彼は知的障害は軽度で、文字・数字を覚えて書くことができた。

翌年の就学にあたって、環境への適応力が弱い彼には通常学級は厳しいのでは?と私は両親に話した。

しかし二人とも通常学級への入学にこだわった。小学校が自宅から近いというだけでなく、「障害児を通常学級に」入れる運動の団体に入っていた。

特別教育なしの通常学級に入れただけでは彼の成長につながらない、と私が事例を話しても両親の意思は固かった。

それ以上は強く言えなかったし、私には説得するほどの権威も肩書もなかった。ところが、両親の期待とは裏腹に入学が間近になっても彼は小学校の教室はおろか、学校の敷地内でも固まって校舎に足を踏み入れることができないとお母さんが相談してきた。

こばと塾から遠方ではあったが、私は彼の家まで出向いた。彼を連れて入学予定の小学校の門をくぐり職員に断って、彼が入ることになっている教室まで連れていき椅子に座らせた。

びくびくはしていたがなぜか彼は大人しく指示に従って、固まることなく行動した。いつもの直角歩きも出なかった。

障害児を通常学級に!という地域の風潮を読んでか、学校は保護者の意向を理解して彼を受け入れ、何とか入学することができた。

自閉症状が強めの彼にとって、学校は緊張を強いられることが多く、楽しい場所とは言い難いものだろう。彼は入学後もこばと塾には通い続けたので、その後の彼の変化については後の章で取りあげたい。