* 二〇〇九年 冬
真冬の夜だというのに額に大粒の汗を浮かべる良三の目に飛び込んできたのは我が家の変わり果てた姿だった。火の手はまだ小さい。しかしもうこの部屋に住み続けるのは無理だと一瞬で分かった。
似たような景色は六十余年前に何度も見た。空襲に遭い、焼け崩れる家屋を。撃ち落とされ、火の玉となって地上に降り注ぐ戦闘機や爆撃機を。
戦争ならば仕方ないと思っていた。そういった時代だったからだ。だが今は違う。眠気も寒さも全く感じない。
「あぁ! 良ちゃん無事だったか! どこ行ってたんだよ、こんな時に」
よく耳にした声が届く。見ると、同じアパートに住む山城が息せき切って駆け寄ってきた。寝巻きにサンダルと、着の身着のまま飛び出してきたと言わんばかりの山城は火の元に暮らす良三が無事で分かりやすく安堵している。
「や、山さん。千代と若菜は……? 消防は?」
「もうとっくに通報してるよ。それより二人とは一緒じゃなかったんか?」
その問いに良三は首を左右に振る。だが筋肉がこわばったせいか、もはや痙攣と言ったほうが正しそうな動きだ。良三の反応を見た山城の表情は燃え盛る炎とは対照的に青ざめていった。
「山さん、色々借りるぞ!」
言うが早いか、良三は山村の部屋へと駆けていった。幸いなことに山村の部屋は火の元からちょうど対角線上の位置にある一階の角部屋であるため、まだ被害は受けていないようだ。
一人暮らしである山城の部屋は雑然としており、新聞や衣類、こたつで部屋の大部分が占められていて足の踏み場がなかった。だが仕事道具は玄関口に置かれており、中身は全てリュックサックに詰め込まれたままだ。
良三はリュックを手に取ると迷わずひっくり返し、中身をぶちまけた。汚れたヘルメット、溶接面、保護メガネ、そして――防塵マスク。溶接時に発生するヒュームと呼ばれる煙は人体に害がある。その煙を吸わないようにするための保護具だ。濡らしたハンカチを口と鼻に当てるよりよほど効果がある。
防塵マスクを手に入れた良三は風呂場へ直行する。そして服を着たままシャワーのコックをひねり、冷水を全身に浴びた。頭巾と革手袋にも入念に水分を含ませた。肌を刺すような冷たさは脂肪が失われて骨と皮ばかりになった体には酷であるが、良三は元・戦闘機パイロットだ。
高度五、六千メートルまで上昇すれば気温は氷点下を優に下回る。おまけに与圧されていない戦闘機では寒いなんてものではない。電熱服も気休め程度だ。短い期間ではあるがその経験が良三に冷水の寒さなど感じさせなかった。
それと同時に戦時の記憶は小隊長の言葉をも蘇らせた。
(小隊長。自分のやるべきことがなんなのか、今ようやく分かりました。見ていてください。必ずや立派な戦果を挙げてみせます)
次回更新は7月11日(土)、11時の予定です。
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