※編集部が選んだ「こんな体験談」の例
がんが見つかったのは、5年前のことです。治療は思っていたよりずっとつらくて、もうやめたいと泣いた夜も、1度や2度ではありませんでした。ただ、同じ病室にいたおばあさんが、毎朝カーテンを開けながら、言うのです。「今日も生きてるねえ」と笑顔で。その声に、救われていました。つらい治療を耐えられたのは、あの方のおかげです。私の命の恩人です。ありがとうございました。
母を3年間、介護しました。近所の人や母の友人には「えらいわね」とよく言われたけど、全然そんなことはありませんでした。夜中に何回も母に呼ばれて寝られない日が続くと、ついイライラして、母にきつい言い方をしてしまうこともありました。そのあとはいつもひとりで泣いていました。いい娘じゃなくてごめんねと、母に何度も心の中で謝りました。それでも、認知症が進んで、最期のほうはもうほとんど喋らなくなっていた母が、亡くなる少し前に突然、「ありがとう」と言ってくれたんです。その時のことは、一生忘れられないと思います。後悔がないと言ったら嘘になります。でも、最期まで家で一緒にいてあげられて、本当によかったです。
中学を出て、すぐ地元の鉄工所に住み込みで入った。手は毎日、油で真っ黒。給料は雀の涙。食うだけで精一杯だった。しばらくは仕事が嫌でたまらなかったが、厳しくて怖い親方に、一度だけ「お前は筋がいい」と言われ、それが嬉しくて、あとは必死で覚えた。やがて独立して、小さな工場を持った。今は息子が継いでくれている。努力は必ず報われると、幼い頃から息子たちにも、いつもそう言ってきた。その通りの人生だったと思う。
父は本当に無口な人で、子どもの頃、ほめられた記憶がほとんどありません。仕事が忙しい人で、休みの日に遊んでもらったり、旅行に連れていってもらったり…なんてこともほとんどありませんでした。ですが、そんな父との思い出でひとつだけ忘れられないことがあります。それは、私の結婚式の日のことです。支度をすませた私を見て、「きれいだな」と言ったんです。涙も浮かべていました。びっくりして、私も泣いてしまいました。あんなに照れくさそうな父の顔は、後にも先にも見たことがありません。式の最中のどんな挨拶よりも、あのひとことが、私の大切な宝物になっています。
初めて富士山に登った、大学生のときのお話です。頂上でご来光を待っていたら、たいへんな人混みで、連れとはぐれてしまいました。気がつくと、見ず知らずのおじさんと2人きりでした。山頂はとにかく寒く、気づいたらおじさんと背中を合わせ、暖を取りながら日の出を待つことに(笑)。名前も聞かないまま、明るくなったら会釈ひとつで別れて、それきりでした。それだけのことなのに、あの朝日と、背中から伝わってきた温もりを、40年経った今でも、はっきり覚えています。
我が家には昔から、なぜか野良猫が居ついていました。名前をつけて可愛がっていたら愛着がわいて、そのままうちの子にお迎えして……ということを繰り返していました。野良猫の数が減ってからも、お友達から譲り受けたり、いろんなご縁があり、我が家には猫がたえませんでした。この前ふと思い返したら、40年で、なんと、12匹もいたことが発覚!(笑)みんな顔も性格も違って、揃いも揃って気ままでした(笑)。振り返ると、私の人生には、いつもそばに猫がいました。人生も後半戦となり、色々と振り返ることも増えましたが、それだけで、なんだかいい人生だったのかな? と思います。今我が家にいるのは、サバトラのしまちゃん。やんちゃだけど優しい女の子です。
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