【前回記事を読む】上司に「行ってこい」と言われた場所は…アパートの跡地…? バリケードテープが張り巡らされた立入禁止区域の中には……

Case:B 元・医者の選択

「あんたぁ、見ない顔だね」

突然背後から掛けられた言葉に驚いて立ち上がると、間近に腰の曲がった年配の男性が物珍しそうに覗いていた。

「はぁ〜。最近は女の子でも背がたけぇなぁ」

「こ、こんにちは」

「ふむ、こんにちは。しかしあんた、ここへ何しに来たん?」

「あ、えっと、私は十年前までここに住んでいた方の知り合いでして……」

どうにか怪しまれない程度の嘘を吐いた瞬間、男性の顔つきが変わった。まるで、死んだと思っていた古い友人と再会したかのような。

「知り合いってまさか……若菜ちゃんのことかい?」

「若菜さんをご存知なんですか?」

「そらそうよ。ワシも同じアパートに住んどったんだ」

葵は驚きを隠せなかった。偶然にしては出来すぎだ。

「あの子、元気しとるか?」

「え、えぇ。今は医学部に通う大学生で、来年から研修医になるそうですよ」

「医学部……。そっかぁ。あの子がお医者さんになるんかぁ」

感慨深く、しみじみと頷くところを見ると若菜は同じアパートの住人からも可愛がられていたらしい。その事実が葵の胸に熱いものを込み上げさせていく。

「そうかそうか。良ちゃんの孫がお医者さんかぁ」

良ちゃん。言うまでもなく若菜の祖父・黒沼良三のことだ。

「そういえば挨拶がまだやったね。ワシは山城いいます。あんたがご存じかは知らんけど、若菜ちゃんのおじいさんで良三っちゅう面白い人がおったんやけどね、仲良ぅさせてもらっとったんよ。もちろん若菜ちゃんともね」

山城は葵が備えた供花に視線を移すと目を細め、「菊か。菊の花はいい。良ちゃんは軍人さんじゃったけんね」と言った。

「あの、良三さんのこと……お聞かせ願えませんか?」

「あぁ、ええよええよ。ワシも久しぶりに若い人と話せて楽しいけん」

山城は空を見上げて「なにから話そうかねぇ、良ちゃん」と呟いた。その姿は天に眠る良三から『余計なことは言うなよ』と釘を刺されているようであり、どこか微笑ましかった。

「最期まで立派な人じゃったよ。死にはしたが……きっと悔いはなかったんじゃろうねぇ」