【前回の記事を読む】ひらがなを教えるはずだったのに、彼が覚えたのは先生の指の動きだった…無意識の、“真似してほしくない仕草”まで真似されて……
第一章 生命力を支える家族
痛いの、痛いのとんでいけぇ~
指示待ち打破の一手
指示待ち癖の改善も、彼の療育の大きな課題だった。
自閉症療育のスタートはまず指示に従ってもらうことから始まる。指示に従ってやれるようになったら、最終的には指示されなくとも、自分の判断で自発的にやるようになることが理想である。
しかし、パターンがきっちりインプットされて、それが先走り行動につながるのも困ったものだが、指示されないと動きが出ない指示待ちも問題である。
彼が参加したある年の夏合宿二日目は県内にある鋸山 (のこぎりやま)登山だった。全員、合宿経験が三回以上の障がい児達だ。
登山スケジュールを無事にこなし下山道も終わりに近くなったので、子ども達にジュース休憩を取らせることにした。下山途中の山腹の開けた場所には、休憩のためのベンチや飲み物の自動販売機が置いてある広場がある。
子ども達に飲み物を買わせるため集合の声かけをした。
まだ自分の小遣いを持たない合宿グループだったので、私は合宿参加費用の中から自販機用に崩した小銭を布袋に入れて(結構な重さだったが)子どもの飲み物用に持ち歩いていた。
その中から、少しおつりが出るくらいの金額を子ども一人ずつに渡し、好きな飲み物を買うようにと休憩ベンチから送り出した。
飲み物の自販機は何台かあり、自販機のそばにはスタッフが立っている。単なる喉を潤すだけのジュース買いではない。
子どもの主体性を伸ばすために、自分の判断で自分が飲みたいジュースを選び、そして自分でお金を入れ、お釣りなども忘れずに持ち帰ることを狙いとしている。そしてスタッフ達は子ども達が買う時に、指示を出したり目で合図を送ったりしないよう、彼らを見ない振りをすると打ち合わせていた。
彼も皆と同じように自販機にお金を入れ、飲みたいジュースのボタンに手を伸ばしてスタッフの方を見た。
だがそこで止まってしまった。「いいよ」とか「ボタン押して」とか言ってもらいたそうな様子がありありで、指示を待っていた。
それでもスタッフは彼とは絶対目が合わないようあらぬ方を見ていた。他の子ども達はジュースを買って皆ベンチに戻ってそれぞれ飲み始めていた。
自販機の前にはボタンに手を伸ばした彼一人になってしまった。それでも押す気配はない。最後の手段として、スタッフは無言で彼の後ろを通り、彼の伸ばした手に間違ってぶつかった振りをした。
結果的に彼はボタンを押し、ジュースはゴトンと下の取り出し口に出てきた。
彼は急いでそれを取り、皆のいるベンチの方へ走ってきた。指示待ちの彼には長く不安な時間だったかもしれない。