今の会話、聞いていたの?

彼にはこだわり、指示待ち以外にも周囲に理解されにくい行動があった。

十歳前後は、普通は反抗期と言われる時期で、障がいを持つ子にも退行、幼児返りしたような行動が表れることがある。

多動性もこの時期には次第に収まってくることが多いが、もともと多動ではなかった彼の場合は、動きが止まってしまうという変化に表れた。

トイレに行きトイレの扉の前で立ち止まる。歩道橋の前に行っても上らず階段下でじっと、茫然と立ち止まっている。

何をしに来たのか、何をすべきなのか忘れてしまったような状態なのである(彼だけではなく重度自閉症児の中には自分で食事することができていたのに、食べ物を前にしても食べ方を忘れてしまったかのようなケースもあった)。

幸いなことに、彼の“行動ど忘れ”  “放心様行動”も数カ月すると消滅し元の彼に戻っていった。

彼は児童相談所の判定では重度の自閉症で育て辛い方であったが、両親は彼をとても愛し、可愛がっていた。

こばと連絡帳に書いてあったお母さんの印象的な休日のワンシーンがある。

ある日、彼は両親から少し離れた場所で自分のお気に入りのおもちゃで遊んでいた。

お茶を楽しんでいた両親は彼を気にすることもなく、自閉症について悪気もなく笑いながら話をしていたそうだ。

息子の悪口ではないし、彼に聞かれて困ることでもなかった。

それが、会話を聞いているとは思ってもいなかった息子が突然、二人の方に顔を向けて「悪かったね!」と言った。

お父さんとお母さんは息が止まるほど驚いたそうだ。二人は顔を見合わせて「今言ったよね、はっきり」と言い合った。

この出来事を連絡帳に書き、私に会った時にもその場面を報告してくれたお母さんは彼の言葉に興奮していた。

息子は自分が生まれて悪かったかのように思っていたなんて。

自分達は息子が自閉症でも生まれてくれて良かったと思っているのにと言った。

彼ら自閉症児達は、時に至極自然にその場に合う会話をさらっと言うことがあると、何度も経験した。

鏡は裏面の銀メッキがところどころ剥がれると、その部分だけが透けて奥が見えることがある。

彼らもそれと同じで、ときどき取り繕っていたものが剥がれ、隠していた本音が透けて見えるように思う。

 

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