【前回記事を読む】ヘルメットに防塵マスク、保護メガネ、溶接面…。リュックサックを背負った男が、こちらに気づいた。「なんだ、あの恰好……」

Case:B 元・医者の選択

「孫と一緒に暮らせるなんて良ちゃんが羨ましいなぁ。俺はおっかさんにも先立たれたし、息子は会いに来ねぇし」

「山さんも雄作んトコと似たようなもんか。昔は三世代みーんなひとつ屋根の下で暮らしてたっていうのによぉ」

「もう時代が違うんだよ良ちゃん。ワシら老いぼれにゃ、今の時代は生きるだけでしんどいわ。まさかこの年まで働かなきゃならねぇとは思わなかったよ」

「だよなぁ。ワシも目がイカレてなきゃ今ごろ……」

腕を組み、ウンウンと渋い顔で頷いていた良三が突然口をつぐんだ。

それだけにとどまらず、横目でチラリと若菜の様子を窺ってもいる。

「どうした。急に黙っちまって」

「……いや、なんでもねぇ。今から飯なんで、またな。今度呑みにでも行こうや」

足早に話題を打ち切った良三は若菜の腕を引いてそそくさと自分の部屋がある二階に上がっていく。

すると、錆びた階段の足音が伝わったのか、二階の一室から良三の妻・千代が姿を見せた。

「また景浦さんの所に行ってらしたんですか。あんまり迷惑ばかり掛けるんじゃありませんよ」

「へいへい。分かってるよ」

「もう」

「今日のメシはなーにかなぁ」

「小イワシの南蛮漬けとほうれん草のおひたしですよ。それからお味噌汁」

「おぉ。そりゃうまそうだ。あとで山さんにおすそ分けしてくるか」

そう言って少年のような笑みと共に洗面所へ向かった良三は勢いよく蛇口をひねって大量の水を流した。

水道代がもったいないので普段はもっと控えめに、それこそチョロチョロとしか出さない水は良三の手で跳ねて床や壁を濡らしていく。

義務的に手を洗う良三の口角は下がり、真一文字となっている。

その心はうっかり口を滑らせなくて良かったと安堵していた。

(ワシも目がイカレてなきゃ今ごろは小隊長と同じ場所に……なんて若菜と千代の前で言えるわけ、ねぇよなぁ)