「初めまして。私、寺坂謙志郎と申します。社長様には……」

「け、謙一郎の間違いよね」

夫人は袂を目頭に当てた。

「わしらとしばらく離れて暮らしているうち、数字が増えて謙志郎になったんだ。ただし、この子のは『四』ではなく『志』だから、心がけが良いから謙一郎には劣らんぞ。わっはっはっ」

桜木の話は謙志郎には理解できなかったが、浩子夫人に促されて茶の間に通された。夫人がお茶を入れたところで、桜木が謙志郎との朝からのいきさつを詳しく話した。

「実は、わしもこの青年を見て驚いたよ。死んだ謙一郎にあまりにもそっくりでな。思わず声を出しかけたよ。寺坂君、君の命がほしいと言ったのは、今日からわしらの息子になってはくれまいかということなんだ。

六年前、一人息子だった謙一郎は、飲めない酒を無理に飲まされ、急性アルコール中毒で殺されたんだよ。大学を出してわしの店を手伝わすつもりだったが、あいつは修業しないと良い経営者にはなれないから東京でみっちり勉強してくると言って家を出たんだ」

稔も目頭を押さえた。

「そうでしたか。私は未成年ですが、酒は飲めないでしょう。臭いを嗅ぐだけでも嫌になりますから。先ほどのお言葉ですが、私には身にあまります。えたいの知れない私に……」

「何がえたいの知れないものですか。あんたの目が証拠だよ。あたしには分かるのさ。あんたの親御さんは立派な人だったに違いないよ。よんどころない事情であんたにつらい思いをさせちまったんだよ。あんたが息子になってくれるならあたしも嬉しいよ。ねえ、そうしてくれない?」

浩子夫人も頭を下げた。

「もったいない」

謙志郎は言葉が続かず、ただ涙だけが止めどなく流れた。

次回更新は8月27日(水)、21時の予定です。

 

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