【前回の記事を読む】「出来損ないの死に損ない」——母から吐き捨てられた言葉は私の心に突き刺さった。いつしか私は自死を考えるようになり…

第4章 一人になった珠輝

激動の中で

その年の八月には富子に弟ができた。その子はミルクの飲み方や泣き方にしても恵子とはまったく違っていた。

この子は幹男と名付けられ祖父の喜びようは大変なものだった。それを機に智子叔母は電気洗濯機を買った。当時は頭に電気という呼び名を付けたところが面白い。

祖母の手間を考えての事だろうが、次の年の三月には珠輝に弟が生まれこの子は守と名づけられ、この時の長太郎の歓びは珠輝を思えばひとしおだった。

おむつ屋敷と化した丸山家にとって優しい智子叔母のこの洗濯機は大変ありがたい物だった。つまり昭和三十年だ。

その年の四月から富子が叔母夫婦と飯塚市の幼稚園に通うようになり珠輝は一人残された。それからはいつも背中には恵子か弟が背負わされた。

弟は健常児だったからこれもまた祖父の喜びは大変なものだった。珠輝に対する思いもあったろうからなおさらだろう。