三
昭和三十年の春、栃木県塩原の児童養護施設「希望の家」から中学に通った寺坂謙志郎は、担任教師をはじめ、全教師の目を見張らせる素晴らしい成績を納めながらも、進学を断念しなければならなかった。
謙志郎はほとんどの教師から同情され、進学できなかったことを惜しまれながら卒業した。その後、彼は東京下町の「すて寿司」に住み込みで就職した。
謙志郎の他にも三人の先輩格の住み込み人がいた。施設長の早川寅夫が身元保証人を引き受けてくれたし、店主の江頭氏も快く了承してくれた。謙志郎はそんな人たちに報いようと、他の者より一時間ほど早起きし、外回りの掃き掃除などを行った。
だが、そんな彼の行動は、先輩格の人々には面白くなかった。彼等はことあるごとに謙志郎に難癖をつけたが、彼は意に介さなかった。盆暮れが来ようが彼には帰るところはないし、特に遊びたいとも思わなかった。
そんな地味な性格も虐めの材料になったのだろう。時々謙志郎の金が盗まれてはいたが、あえて騒ぎ立てることもしなかった。日がたつにつれ、金はできるだけ郵便局に預けることにし、通帳は肌身離さず持っていることにした。
謙志郎が二度目の正月を迎えようとした月に事件は起きた。先輩職人の給料袋がそっくりなくなった。何も知らない謙志郎が散髪から帰ってくると、
「おい寺坂。飯野さんの給料袋がなくなった。持ち物を見せてもらっているのだが、お前の荷物見ていいか」
浜根という職人が言った。
「どうぞ。僕がいなくても見てくれてよかったのに」
「そうか、では」
浜根が謙志郎のリュックを開けた瞬間、
「おい。貴様」
浜根のビンタが謙志郎に飛んだ。
次回更新は8月24日(日)、21時の予定です。
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