「珠輝さん、あんたいつまでも学生時代のようなつもりでいてはいかんよ。お客さんに可愛がってもらいたければ、まず身だしなみを整えてお洒落(しゃれ)することよ。
あんたの親はどう考えているのか知らないけど、あんたの身なりは粗末すぎるってパパが言ってたよ。眼が見えない者は、そんなことからしっかり考えていかないとね。
明日パパに美容院に連れていってもらうからね。今度だけはガソリン代は免除してあげる。まずそんなことから勉強しないとね。学校出ることだけが能じゃないとよ」
初めて会ったときの優しさはみじんもなかった。珠輝はただあぜんとするばかりだった。仕事も送迎してくれることが条件だったのに、近くの家には一人で行かなければならなかった。
これまで全く一人歩きをしなかった珠輝には、これは大きな不安材料だった。その家の場所や道の様子は主人の保さんが送迎の際に何度も何度も懇切丁寧に教えてくれたから、何とか一人で行き帰りができるようになった。
だが、患者さんに悪いとは思ったが、雨降りでも極力傘は差さなかったため、体が冷え切った状態で施術をすることもあった。傘に当たる雨の音で、周りの音の確認が困難になるからだ。それに右手に持つ白杖で道を確認しながら歩かなければならない。
それでも珠輝に一つだけ救いがあった。道が直線に近かったことと、訪ねる家は路地を入ってほぼ真っ直ぐ探っていけば確認できたからだ。
曲がり角も直角に曲がれば良かったし、右端に寄って歩けば車の事故に遭うこともない。視力のない者に最も大変な道は、平坦なだだっ広い道路だ。知らず知らず斜めに歩いてしまい、目的地が完全に分からなくなってしまうからだ。
部屋は京子さんと同室で、珠輝が感じたことを話すと、
「珠輝ちゃん、あんたには社会生活の免疫が全くないからね。あんたが驚くのも無理ないよ。第一、業者の言うことなんか本気にするばかがいるかね。相手は何が何でも使いたい。できるだけ良い条件で誘い込む。ついてきたならもうこっちのもの。しょせん契約なんて口先だけやろ。
後は野となれ山となれ。だからね、これからあんたが他の鍼灸院に移るなら、業者の言うことなんか十のうち三つ合えば御の字と思うことね。珠輝ちゃん、あんたガムとチョコレートに釣られてここに来たんやろ。ご愁傷様」