【前回の記事を読む】切実な想いでお参りなされる虚空蔵尊崇敬者および参詣者をおもてなしの心でお迎えする休憩所「寺カフェ誉れ庵」

真言と出世について

十三仏さまと私たち

様々な考え方があるのでしょうが私が受け止めてきた仏教観として、人は亡くなると本来あるべき場所に還ると考えます。

ではその本来あるべき場所とはどこかと申しますと、終着点は古くから弔い上げと言われる清浄本然忌(しょうじょうほんねんき)、三十三回忌の十三仏さま最後の守り本尊であります虚空蔵菩薩さまの元へ還るのです。

だからこそ本来あるべき場所に還るスタートとして法名の前に新帰元(しんきげん)とつけて贈り名いたします。

新帰元○○○○居士

新帰元○○○○大姉

新帰元の解釈は「新たに仏さまの世界にお帰りになる」「新しく元いた世界に帰る」など本来あるべき場所へ還るスタートであります。

仏教式供養ですと人が亡くなると法名を贈り名いたします。これは本来あるべき場所に還るために、初七日(しょなのか)の守り本尊の不動明王さまを皮切りに十三仏さまに導いていただかなくてはならないからです。

それぞれの場所に守り本尊がおられますのでそこを通る時に俗名では導いていただくことができません。

その世界の名前とも言える仏の名前が必要でありそれが法名なのです。それぞれの十三仏さまにお会いするためには、当然亡くなられた時に仏の位に辿り着いて成仏していなくてはなりません。

そのために御葬儀の際に仏事を執り行うのです。導師の導きで曹洞宗であれば受戒をして仏の位へ辿り着いた証として法名をいただくのです。

その十三仏さまにお会いしてお導きをいただくタイミングがそれぞれの年回忌に当たっておりますので、現世とリンクしてその場所を無事に通り抜けて、お涅槃とも言われる本来あるべき場所に辿り着くことができるよう、現世にいる方々は法事を営み個人のご冥福を祈る機会を設けるのです。