【前回の記事を読む】「出世なされましたね」―久々に会った方からの言葉に引っかかり…一般的なイメージとは異なる「出世」の意味とは?

真言と出世について

小僧になってから師匠と一緒に勤めるなかで師匠がとりわけ大切にしていることに気付きました。それは真言を唱える時です。お盆の期間に「甘露門 (かんろもん)」というお経を読経いたします。

甘露門とは仏の教えとは甘い露のようで、亡き人に供物を供え、この経を唱えたらその魂が救われると説いたお経です。その中にございます。

発菩提心陀羅尼(はつぼだいしんだらに) 唵冒地即多母陀波多野迷(おんぼうじしったぼだはだやみ)

お経の途中で発菩提心陀羅尼(はつぼだいしんだらに)を全身全霊で私に三度唱和させるのです。得度をしてからは仙台虚空蔵尊の御祈祷にも座らされました。

虚空蔵菩薩(こくうざうぼさつ) 真言  南無阿佉捨掲囉婆耶唵阿利佉摩利慕利莎嚩呵(のうぼあぎゃしゃぎゃらばやおんありきゃまりぼりそわか)

そこでも同じように全身全霊で三十五遍の真言を唱え御祈祷を勤めるのです。仏心を起こし頑張っていきます。仏さまと一体となって頑張ってまいります。そのようにお誓いをして、この真言が特別に大事なんだと師匠独特の気合を入れてお唱えをするのです。

諸々の迷いを断ち切り私たちが生まれながらに具(そな)えている仏心に立ち返るよう身を投げ打って一心にお唱えをする姿を私に示したかったのだと思うのです。あれから三十五年以上の時間が経過しました。

私の出世を願った師匠の姿、私に仏道を歩んで欲しいと願った師匠、出世とはまさに仏の生き方を表していくことでした。仏心を養い真言を実践している姿も仏の生き方を表していく出世の姿であり、それこそが、自らの命をいきいきとして生きることに繋がるのだということが三十五年の時をかけてようやく繋がったのでした。

師匠と新盆、棚経 (たなぎょう)のお勤めの際に唱えるお盆のお経である甘露門の中に阿蜜慄帝阿濫惹耶(あみりていあらんじゃや)という一節がございます。