事態を重く見た幕府は、一年以上も経ってから事件の関係者を晒し首にした。天保九年(1838年)の事である。晒されたのは大塩父子をはじめ、乱当日に死んだ者や評定ののちに刑死した者の首など合わせて三十以上に及んだ。これ以外にも牢死したり自決した者もおり、その数も五十を超えている。
特に平八郎や格之助といった首謀者は、塩漬けしたその遺骸を改めて磔にかけてから晒しものにされた。傍らに『首謀者・大塩平八郎』の札が立てられたが、その顔は爆発で焼け落ちている。
「なんだ、ありゃ。大塩だか誰だかわかんねえぞ。別人じゃねえのか?」
見物人たちは白けた目で見て、結局この晒し首はむしろ大塩生存説に拍車をかけることになった。その見物人の中には、侍のいでたちをしたカイの姿もあった。平八郎の首、ということになっているそれの正体を知っているのは彼だけである。
(おっさん、わりい。もう少しそこで辛抱してくれ)
編み笠を目深に被り、その奥でカイは目礼をしてから場を去った。
次回更新は7月26日(土)、11時の予定です。
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