一方、私の母は口を開けば文句ばかり。普通の会話なんてありえませんでした。ところがある日、彼女から思いがけない話を打ち明けられたのです。

それは彼女のお父さんも、怒り出すと手当たり次第に物を投げてくる怖い父親だということでした。お互い、同じ悩みを持っている者同士、ますます絆が深まっていきました。

結局、彼女と私は一度も同じクラスになりませんでしたが、何でも話せる親友として(ときにはケンカもしながら)、ずっと付き合いは続いていきました。三十八キロ強行軍と妙高登山直江津中学には毎年恒例の「三十八キロ強行軍」という行事がありました。

初夏の早

朝学校を出発し、五智街道から高田方面に向かい、クラスも学年も関係なくそれぞれのペースで歩くのですが、のんびりしていると制限時間内に戻れなかったり、途中体調を崩してリタイアする人が出たりと、結構過酷な行事でした。

それでも普段交流できない人と話をしたり知り合えたり、教室で一日を過ごすよりもずっと有意義な時間だったと思います。もちろん、親友の彼女とも一緒に歩けて、私にとって楽しい学校行事の一つでした。

また、中学一年の夏、同級生に誘われて、学校主催の妙高登山に参加したことがあります。小学校の修学旅行のように、仲間と宿泊できることを楽しみにしながら当日を待ち、バスに乗って宿に着き夕食を済ませたあと、先生から登山についての説明がありました。

「夜中に出発して山頂で日の出を見て、それから下山する。登るより下りる方がきついぞ。今日は早く寝るように」それを聞いた途端、「参加しなきゃよかった!」と後悔しました。

「夜中に起きて、二千メートルの山を登って下りてくるなんて、とても私には無理!」と思ったのです。先生は続けました。

「途中で具合悪くなっても引き返すことはできないから、もし体調が悪いと思ったら今日中に申し出ること!」

「どうしよう……。途中で具合悪くなったら、みんなに迷惑をかけるし……」

悩んだ末に先生の部屋に行き、「先生、お腹痛いんですけど……」と伝えました。

すると先生は、「この薬を飲めば治る」と私に薬を渡し、さっさと部屋に入ってしまったのです(私の仮病はバレバレのようでした)。

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